「本質的に頭が悪いと思う」からの連想〜革袋と中身〜

「○○さんって、本質的に頭が悪いんだと思いますよ」と某所で云ったことがあって、よくよく考えると大層ひどいことを云ってるなあ、と思ったのでどうひどいかを自分で解説してみる。

 

 まず、前提として、「○○さんは頭が悪い」ということがある。これ自体ひどい。大層ひどい物言いである。

 そしてもう一つ、この文章に隠されているのは、「○○さんは自分の頭の悪さに気づいていない」ということがある。気づかれざる頭の悪さ。何を云っても理解できない、通じない、つまり咀嚼力がないということを指摘している。表面的な頭の悪さではなく、「本質的な頭の悪さ」を指摘しているというのは、そこから来ている。

 「○○さんって頭悪いですよね」だとただの悪口だ(いや、上記もただの悪口なんだけれども)。しかし、上記の文章は、「本質的」という形容をつけている。「本質」とは「表層」ではないと云うことだ。「表層的に頭が悪い」だとまだ救いようがある。深層(本質)は頭がいいかもしれないからだ。

 しかしここで指摘されているのは「本質的」頭の悪さだ。それはつまり先ほどの逆の事態を表している。すなわち、その人は表層的には頭がいい(少なくとも悪いとは思われていないし本人も思っていない)けれども、本質的には頭が悪い人なんだ、ということだ。

 

 表層的には頭がいい(少なくとも悪くない)と目されている、にもかかわらずそうでないことが露呈しているから、「本質的に頭が悪い」と評されることになる。しかもそれ、本人も気づいていないって、どんな悲劇だ。

 

 ソクラテスの「無知の知」じゃないけれども、私たちはそんな多くのことを知ることはできず、知力には限界があることを知っている。頭のいい人に接することができたら、自分自身の知らぬことがたくさんあることなどすぐ分かる。

 

 しかし、時にこれを間違う人もいて、「頭のいい人と一緒にいたら自分も頭がよくなった気がする」こともある。「AKBに入ったから可愛い」みたいなもんだ。違うか。心理学で云うハロー効果だ。これも違うな(ハロー効果:頭髪が不自由な人を見てそのまぶしさに思わず「ハロー」と云ってしまうこと;ちなみにこれも違う)。

 でも、こういうスネ夫的心性*1からは誰しも逃れられない。「○○大学だから」とか「勤務先が○○だから」とか「○○さんと一緒に仕事してるから」とか、本人の属性とはこれっっっっっっっぽっちも関係ないのに、そういう周辺的属性でしか人を判断できないことがある。そしてまた、本人もそれを勘違いすることも少なくない。

 

 これ、悪いことではないんだよね。「立場が人を作る」じゃないけど、子どもを持ったら親の自覚がでるとか、上司になると周囲を見渡して仕事するようになるとか、与えられた属性によって引き出される自分自身の性質というのもある。だからそうした属性が備わること自体は悪いことではない。でも、それで見失っちゃあいかんのですよ。

 

 ヴィゴツキーというロシアの心理学者がいて、「発達の再近接領域」という概念を提唱したそうです。「一人だったらできること」と「みんながいるとできること」の差に着目し、一人だったらここまでしか学習できないのに、みんなといると引っぱられて可能になることもあるよ、ということを云っている(らしい……ごめん……本読みたいんだけどまだ読んでない)。

 これ、「関係によって伸びる側面」のことに言及していて、とっても面白い概念であると思うんだけど、上記の「属性によって育てられる」というのも、考え方としては近いと思う。(あまり好きな言い方ではないが)「○○高生としての自覚を持って」のように、外側(革袋)に見合うように振る舞うことで中身も磨かれていくことはあるんだ。うちにあったものが引き出される、伸びていく、育っていくイメージ。本人の中にありながらいまだ充分生きてこなかった要素が賦活されるような、それこそが人と人とが関わる醍醐味なんじゃないかな。

 

 でも、時に……往々にして、かもしれないけども……、革袋が備わることによって革袋だけが立派になって中身が伴わない人もいる。革袋を褒められて革袋ゆえにチヤホヤされて、自分の革袋に同一化してしまう(ジム・キャリー主演の『マスク』って映画あったけど、そんな感じだね)。その場合、「今まで充分生きてこなかった要素が賦活」されることはなく、外側だけが立派になって、それっぽいことを云うけれどもカッスカスのことしか云えず、不幸なことに外側の立派さだけ人は見るからカッスカスであることが見抜かれず、革袋を磨くテクニックだけが付いていくんだろうな。

 

 そういう人を見たときにわたしはたぶん、「本質的に頭が悪い」と思ってしまうんだろうなあ。……よくよく考えたら、ひどい評価だと思う。ごめんなさい。そして恐いのは、自分もそうなってしまいかねないことだ。革袋だけが磨かれて中身が伴わない。もしそうなってしまったときに、教えてくれる友人を持ちたいものだし、その教えてくれた友人の声を聴ける自分でありたいな。革袋が立派になると、そういうことばに耳を傾けるのがどうやら難しくなるみたいだし。

*1:「オレのおじさん、クルーザー持ってるんだ」のような、本人とはあまり関係のない周囲の人の所有物を自慢してしまうこと。