蹴上〜東山三条間って、昔々は違うところだったらしい(いや、地下鉄の前でなく)

まえがき

 

 過日、琵琶湖疏水記念館に行ってきた。

biwakososui-museum.jp

 まあ、散策のついでにフラッと、ではあったんだけど、こういうところに付きものの、「1915年の蹴上の様子再現模型」があった。

 

 蹴上というのは、実際京都の東の外れではあるものの、観光地としては南禅寺インクライン、ホテルは(ウェスティン都ホテル、岡崎動物園や発電所などがひしめくなかなかの面白い場所である。インクラインでは、桜のシーズンでは日本人あるいは近隣諸国から結婚式の前撮り写真を撮るカップルが同時に三組ほどいてもおかしくない*1

 

 「ほへー、およそ100年前か、どんなもんじゃろ」と眺めてたんだが、一つ、「おや?」と思う箇所に引っかかった。

 

 地下鉄東西線ができてもう久しく、蹴上に路面電車が走っていたのも「遙か昔」に属しそうな昨今だけども、その路面電車、私の記憶にある位置と違うのだ。

 

 「あれ? なんだか、ちょっと北にあるぞ?」

 

 私の記憶では——そんな耄碌するほどの昔ではないんだけどーー、昔の京阪電車京津線は、三条通を走っていた。都ホテル(当時)のすぐ南に無人蹴上駅(というか降りる島)があり、フォトジェニックなのか、確かアラーキーの写真でも蹴上駅でモデルを撮ったものがあり、木村紺『からん』でも路面電車時代の蹴上駅が登場していたはずだ*2。それは明らかに都ホテルのすぐ南、三条通を通っている。

 

 しかし、1915年(大正4年)の蹴上付近の様子では、「三条通」と描かれた位置のもう少し北、蹴上発電所のすぐ南を弧を描くように線路が引かれているのだ。

 

 おや??? まじで??????

 

 つーことで、以下では、鉄分要素が殆どない(と自称している)私が*3、昔の模型を見たことをきっかけに、鉄分の多いウェブ記事をもとにいろいろ調べてみた&推測してみた記録です。

 あ、半日ほど……もないな、数時間ほどの検索記録なので、執筆後も間違っているのが分かれば適宜訂正致します。資料とか、正式にやるといろいろ出てきそうだとは思うけど、私は鉄オタでもないし地理学も学んでないしで、調べ方とかよーわからんのですよ。

 

0.そのまえに……京津線と私(情報量0のコーナー)

(ここ、マジで読み飛ばしてもらっていいと思うくらい何も書いてません。)

 

 しかし、今回痛感したんだけど、鉄オタの皆さんって、すごいですね。鉄道の写真を撮っている人を見て、まあお好きなのね、くらいにしか思っていなかったんだけど、今回ウェブでちょこちょこと、「昔の京津線」の鉄道写真を見てたらば、いろいろとよみがえってきましたよ、記憶が。

 「うわ、ここアレやん」とか、「あああ! ここ、こうなってた!」とか。

 

 私は、京津線とともに育ってきた……ん、ちょっと違うな。京津線沿線で育ってきた人なので、出かけるときは京津線だったのですよ。今は生家を離れて暮らしておりますが、それでも、今までの基本生活圏をプロットすれば10kmの円には余裕で収まりそうです。狭いな……。

 そんな京津線沿線が生まれてからの記憶に根ざしている人間にとっては、昔の京津線の写真を見たら、いろんな記憶がよみがえるに決まってますやんか。鉄オタの方によるらしきブログを見るだけで*4

 

 鉄道の写真って、電車を移しているだけでなく、やはり鉄「道」なのですね。ある意味華道とか茶道とかそんな類なのかも。お見合いで「趣味は?」「鉄道を、少々……」みたいな。

 まあいいや。収集とか記録とか、すごいなあと思ったってことです。

 

1.1915年頃の京津線蹴上付近について

 

 んで、「はじめに」に書いたように、昔の京津線に興味をもったので調べてみましたよ、ウィキペディア様で。

 

ja.wikipedia.org

 まあ、細かいことはどうでもいいけど、「歴史」ってのを見てみると、

   ・1912年(大正元年) 開業(三条と大津間)

   ・1931年(昭和6年) 古川町〜蹴上間を三条通路面電車に移設

   ・1997年(平成9年) 地下鉄東西線開業に伴い、三条〜御陵間廃止

っぽいのですな。

 

 ミソとなるのは、この「移設」。

 どうやら、開業当初は蹴上手前まで専用軌道(=路面じゃない)で来ており、蹴上すぎたら、専用軌道になって進み、東山三条(=古川町)あたりで(路面に?)出てきた。それを、昭和6年には、三条通の拡幅がおわり?とかで、蹴上から三条大橋までは路面電車で行くようになった、らしい。

 

 まあ、1912-1931の20年間だけ、蹴上〜東山三条間は今と……じゃないや、地下鉄東西線の前身、京阪電車京津線があった頃の線路とは違うところを走っていた、と。1931年になり、蹴上を過ぎて路面電車となり、冒頭示したフォトジェニックな場所として登場していたが、1997年に地下化に伴い廃止された、と。

 

 つーことは、67年ほどのお命だったわけですな、私が知るあの路線。そう考えると短いな。んで、その前は、20年間ほど、別の道(線路)を通っていた、と。

 

 ほなそれ、どこやねん。

 

2.大正時代の京津線蹴上〜東山三条間

 

 ま、蹴上と東山三条の間が気になりますわな。

 ググるしかできないので、とりあえずたどり着いたのはここ。

 

www.okeihan.net

 いやもうなんかいろいろど真ん中過ぎて、懐かしい思いを抜きにしては見られないページなのですが、それはおいとき今回のテーマに関するところでは。

 

蹴上〜三条京阪〈地下鉄東西線〉|鉄の路を辿る|湖都・古都・水都 〜水の路〜|おすすめ!|沿線おでかけ情報(おけいはん.ねっと)|京阪電気鉄道株式会社

 

 これの、「旧京津線跡」ってのを見てみたら、

地下鉄東山駅の北側に点在する、斜めに切り取られた駐車場や路地はその名残。京津電気鉄道の線路跡です。

とあるではないですか。

 

 ここか!

 

www.google.co.jp

 地下鉄東山駅古川町商店街を背にして、京都文教高校(旧家政高校)に向かう道の、あのいびつな形の駐車場。これが昔の線路の跡だというのか……。

 

 んで、地図見て、「ここかな?」と推測して線を引いてみたのがこちら。

 

大正時代の京津線(蹴上〜東山三条間) - Google My Maps

 

 このあたりだとおもうんですけどねえ、どうなんでしょ。 以下追記*5

 

3.答えあわせができてしまった

 

 そーいや、国土地理院が昔の航空写真を公開していたな、と思い探してみたけども、

geolib.gsi.go.jp

 

さすがに古すぎてなかった。

 

 んで、Googleのサービスらしき何かからたどり着いたこちら。

 

user.numazu-ct.ac.jp

 ん、どっかの大学の先生とこか? まあともかく、1920年当時の京都蹴上あたり。

 

 だいたい、いい線いってる、っぽいんですかね。1930年のにすると、現在の位置に来たのがよく分かる。惜しむらくは、その当時の航空写真がないことかな……。まあ無理もないか、大正期だ。

 

 まあしかし、こういうの見ながら町歩きするとか、面白いかもね。時間ができたら、岡崎のあの辺をぶらついて、「昔の昔の京津線、名残探し」とかしてみようかな。

*1:近年ここが通勤路なんですが、春とかすごいっすよ。

*2:『からん』……何故あそこで終わった……。

*3:いや、ホント、小さい頃に私は鉄オタ要素がゼロだったので、鉄分は少ないハズなんですよ。ある意味そう云う人が羨ましいくらい。

*4:検索してたら、仕事の関係で目にした人のブログにも突き当たり、おやまあ、まあやっぱり、って感じもしましたが。

*5:19.5.17;この地図見てたら面白いことに気がついた。この線の西の端っこ、グーグルマップのタイトルにもあるように「分木町」となってますが、この東の端は「東分木町」なのね。「分岐」に由来してたりするんだろうか。