長めのつぶやき〜政治家にならされる専門家の悲哀〜

 ああ、なんかね、「専門家会議」とか「官僚」の人には、ホントご苦労さまですしかないんですよ。人の云うことに耳を傾けず、自分の都合のいいことを云うのが「政治主導」だと思ってる人たちの相手って、私ならもう逃げ出したくなる。実際国家公務員の数は減っているようですね。なり手も少ないだろうし。ボク、東大生だとしたら、今の公務員だけは死んでもなりたくないもん(東大生だったことは一度もないが)。

 でも、それをやらずに現場に踏みとどまるのって、「私が逃げたらもっとひどくなる」とかその種の悲哀を背負っていないとできないと思うんですよ。責任感とか覚悟とか、相当の胆力が必要になるでしょう。批判もされるし文句も云われる、でも、できる限りの落としどころを探ろうとしてやっておられるのではないかな。科学的論理的に考えたら、ありえへんもん、今のもろもろ。あるいは本気であの人たちと同じカテゴリーにいるかもしれんけど。

 

 本来なら、「専門家会議」とかは、専門家としての知見をまとめて、データとして活用されるので充分なんですよね。そこに本来政治的判断は要らない。政治的判断は、政治家がすることであって、専門家の仕事ではない。専門家は、「専門的見地からしたら、こう考えるのが筋です」とか「専門的見地からは、このようなデータが出ています」とか、自身の学問的専門性を背景とした知見を述べることだけでいいはずなんですよ。

 でも、いつの間にか、専門家なのに政治的判断まで背負わされて、表舞台に立たされている。学問的知見ではこっちなのにな、と思っていても、政治との間で苦労したあげく見出した落としどころを語らされているわけです。それが本当にかわいそうでならない。

 

 「よし、お前の好きにやれ、責任はオレが取ってやる」という上司、もういなくなったんですかね。「よし、オレの好きにやる、責任はお前に取らせる」って上司、最悪じゃないですか。でも、今、そういう人しか見えないですよね、ある領域を見る限り。

 

 

 いいなあ、台湾。

 

 ……と絶望せず、自分の領域できちっと責任を果たしていきましょう。