アナ雪1とアナ雪2〜マインドフルネスv.s.精神分析(またはカミダーリ)〜;暫定版
Twitterレベル。
アナ雪2は違和感バリバリで、多分それはまた考えますが、そのアイデアスケッチ。
アナ雪2は、なんか幻聴聞こえて、使命感に駆られて、過去やルーツを探しに行くたびでした。そしてinto the unknownって北の世界に行ってしまいます。
何が違和感あったかって、オラフによる再現?シーン。コミカルではあるんだけど、「なにそのまとめサイト?」ってな気分になって、私はちょっと好きになれず。youtuberかよ。
まあ、父や母の記憶がvisualとして再生されたりするんですね。これもyoutube時代かなあ。「物語」じゃなくって、「それそのもの」になるんですね。過去が過去にならず、その中に迷い込む。再生されて、書き換えられる。この、「物語としての強度の欠如」が、私はどうもダメだったようです。
どうも、この「過去が過去にならず現在として現前し、しかし基本過去指向」なところが、アナ雪2の全般を覆っていたムードかと思います。すごーく、「今までに何があったか」にこだわっているわけですね。父母がしたこと、自分のルーツ、その他諸々。
んでこれ、先の考察とも合わせて考えると。
アナ雪1は、「人と交われない、過去を隠さざるを得ない、と考えていたけれども、もういい! 私は私として、今を受けいれて生きる!」という、マインドフルネスあふれる発想だったわけですよ。Let it go。放下著。
アナ雪2、これに比べると見事に過去指向です。マインドフルネスに比べたら、(中途半端な)精神分析というか、「抑圧されたものの回帰」なんですよね。知らされていない過去のルーツが、自分に声を聴かせる。その声に従いいにしえの道を辿り、巫女として生きる道を見つける。
……あれ? そう考えると、召名の話なのか? カミダーリになって声が聞こえる中で、ルーツを探って巫女として世俗を離れて(北の世界で)生きる。でも、ある意味「あの世に行って帰ってこない、世俗のことは世俗の妹に任せた」って話で、それは魂のsplitを意味するものでもあるよな。この世で生きることを諦めた。うーん……精神分析を受けていたら精神分析の世界から離れられなくなった、みたいなもんか?
また考える。