学会発表と査読論文

 大学にそこそこいると、「査読」を頼まれることがある。それはそういうもんだと思ってたんだけど、同僚の先生(実践系の大学なので論文が当たり前ではない)からは査読って「あまり知らない世界」らしいからちょっとだけまとめる。あ、もちろん私の業界内部のことなので、よその業界では違うこともいろいろあると思うけども、そのへんは許してください。

 

 学者の世界は、「ピアレビュー」で成り立っている。研究をして、その研究を「論文」という形でまとめる。その「論文」を掲載するものが「学会誌」である。学会誌は学会員で構成された学会の、研究成果が載せられた雑誌である。学会員にしか配布されないが、最近はウェブでの公開を基本とするものも増えてきた。

 ……と、その前に「学会」について話す必要があるか。学会は、業界によっていろいろあるだろうけど、年に一回(程度)の「研究発表大会」がある。「○○学会第n回大会」などつけられていることが多いかな。そこでは、学会員による研究発表があり、あとは特別講演や学会総会や懇親会(最近は世知辛いから「情報交換会」なんて名前が多い)など、特別なイベントもある。まあ、こういう「研究発表」をする「大会」以外に、研究成果を発表する場として「学会誌 journal」があるのだ。

 まず、大会での「研究発表」自体は、学会員であれば(ほぼ)どんな内容でも発表できる。発表前に簡単な査読(チェック)が行われることもあるが、形式さえ守れていればよほど突拍子もないもの以外は発表は可能である。それはまあ、この段階で厳しくしてしまうと、研究の芽を摘んじゃうからですね。それが独創的な発想を受けいれないことにもなってしまうかもしれない。なので、学問的・倫理的形式さえ守れているのなら、発表すること自体はそう大それたことではありません(いや、ひどい発表ならケチョンケチョンにつっこまれて落ち込むので、まあそれなりにエネルギーは取られますけどね)。*1

 で、発表の場で叩かれたり面白がられたり、そこで同業者との交流があったりするわけなのだが、その研究を、きちんとしたペーパーでまとめたものが「学会誌論文」だ。あ、学会発表しなくても論文にすることは可能なので、この書き方だとちょっと誤解されるかもしれないけど、ともかく、「学会での(口頭)発表」と「学会誌での論文掲載」は、かなりレベルの異なる話なんだと理解してもらえればいいのだと思う。

 論文が掲載されるには、まず学会誌に論文を投稿する。すると、その論文は編集委員会(学会員から編集を任せてよいと思われた人たち)から「査読」に回される。この「査読」ってのが、先ほど書いた「ピアレビュー」ってやつだ。

 先ほども学会発表での「査読」を書いたけど、それよりもカッチリと、しっかりと読み込まれることとなる。この研究が学会誌に掲載できる水準にあるか、論理的過ちはないか、科学研究として正しいかどうか、過去の研究などを踏まえなおかつ新たな知見を見出しているか。まあ、この「新たな知見」ってのもなかなか難しいもので、そうそう「新しい知見」など出るわけではないんで(よほどの天才でもない限り)、この辺はある程度「作文技術」的なものでもある。いいのかわるいのか。

 

 で、査読。「大御所だからOK」となっちゃわないように誰が書いたかを隠して、学会員の中でそれを審査できるだろうと思われた人に査読が依頼される(誰が査読したかは投稿者には秘密)。これこそが「ピアレビュー」、つまり仲間内peerによる審査reviewなんですよね。学会も大小さまざまあるので、あまりに小さいところだと、「あ、この内容はきっと○○さんだな」ということもなくはないだろう(その意味で、「学会」を名乗っているからといって実質が伴っているかは分からない。日本学術会議の認定(?)があるかどうかは一つの目安にはなるがそれでも玉石混淆かなあ)。まあしかし、それぞれの研究者が、「学会誌としてこれを研究成果として出して大丈夫かどうか」というチェックを行うのが「査読」なのです。

 

 査読された論文は、コメントとともに投稿者に返されます。なかには、査読者が論文の本筋を全然理解していないスカタンなコメントが返されることもあるけど、大体の場合、誤読されるだけの何かもあるので、必要ならば反論し、しかし査読者の意見も尊重しながら、何回も論文に修正を重ね(まあ最低1回は修正することが多い)、掲載に値すると判断されて、「学会誌掲載論文」となる。つまり、論文が載るというのは、「同業者がこれは価値があると認めた」と云うことなので、学会発表なんかより遥かに価値が高い、とされます(ちなみに、中でも優れたものは「原著」と名付けられます)。

 正直なところ、どんな査読者に当たるかという運の要素も強いけれども、運も実力のうちなのでそれも含めて学会査読ですね。とはいえ、ほんとうに学会によってレベルは違うから、「○○だと通らないけど、○○だったら載るかもね」みたいな判断もあったりします。でもそれ、ギョーカイ以外の人はわかんないよねえ。

 

 長くなったな……。要点をまとめると、

(1)「学会発表」は比較的ハードルが低い

(2)「学会誌論文(査読論文)」は同業者による「査読」を経て価値ありと判断されたもの

くらいでしょうか。

 よく説明するのは、「同人誌」と「商業誌」の差です。同人誌は自分たちで作れるので、ハードルは低い。で、同人誌発表会が謂わば「学会大会」です。ここで、売れる本と売れない本がある。そこで発表したものを投稿して、編集者がOK出したら商業デビュー(=学会誌掲載)となる。

 ……しかし、今のご時世、限られた人にしか届かない学会誌より、インターネットで公開されている文章のほうが多くの人の目に触れてパワーを持つことは充分ありますので、学会誌に載るのがすべてではなかろうなあとも思う。Twitterで発信してBLOGを持って、考えをまとめている人のほうが影響力はあったりするし。そこからマスコミで活躍しておられる方も少なくないので、その意味で、「商業デビューはしていないけれどもデビューした人より稼ぐ同人作家」みたいな学者さんも、まあありでしょうね。学術研究も「社会への還元」という目的からウェブ公開が求められる時代だし、「査読論文」にこだわることが古い考えかもしれないけれども、でもやっぱり学者の世界では「査読の有無」はけっこう問われるものなのです。

 

追記)

 のちに書いた記事も貼っておく。

 

librairie.hatenablog.com

 

*1:学会発表は、学会員ならだいたいはじかれることはないので、時々家電のパンフレットとかで「○○学会にて研究発表」なんてことが宣伝文句として載ってるけど、「まあ発表くらいで偉そうに云われても」なんて気持ちになる。異業種だからいいけど、同業がやってるのを見ると倫理を問いたくなることもある。