論文の構造〜通販番組を参考に〜

 あ、研究論文の構造って、通販番組で説明できるなあ、と思ったので書いておく。まず、科学論文は、「問題・目的・方法・結果・考察」という五つから構成されます。もちろんそうじゃないのもあるし、問題と目的が一緒になったり、考察の最後に「まとめ(結語)」入れるとか、あるいは「要約」つけろよ、とかまあいろいろバリエーションはありますけども、基本はこの五つです。

 そのそれぞれ、どんなことを書くのか見てみましょう。

 

1.問題

 これは、通販番組で云う、「高いところの枝を切ろうとして脚立から落ちる」とか、「液状のものをこぼしてしまい、カーペットがぐちゃぐちゃ」とか、「包丁で切ろうとしても、トマトがくずれてしまう」とか、その辺に相当します。

 論文では、何かテーマが設定されます。そのテーマに関する先行研究などを引用して、「ここが今、問題となっているよね」というのを読み手にも共有してもらうのが「問題」の役割です。

 

 だから……例えば、小学校での図工教育とかで論文書くとして(知らんけど)、「子どもたちが彫刻刀でケガをする……そんなこと、ありますよね」みたいなことを、先行研究を組み合わせて示すのだ。こんな感じに。

 

 小学校では、彫刻刀を用いて版画を行うことが学習指導要領で定められている(文部科学省、2010)。その指導法において、佐藤(2014)は、版画教育における彫刻刀の仕様は絶対的なものであり、その中で子どもたちは古今の版画に触れ、情操が養われるとの考えを示している。このように、彫刻刀を用いた版画は、小学校において当然のものとして考えられている。

 しかし一方、その使い方には注意が必要だとの声も挙がっている。例えば小学校保健調査によると(厚生労働省、2015)、小学生のケガの5番目として、彫刻刀の誤った使用によるものだとのデータが上がっている。これについて塩谷(1999)は、そもそも彫刻刀を使用することがおかしいのではないかとの問題意識から、彫刻刀を版画教育から廃し、彫刻刀を用いない版画教育の可能性を提唱している。

 確かに、このように危険性を排除していくという方向性もあるだろう。しかし、リスクを学ばずに安全なことだけ体験していくのが、子どもの成長に繋がるのだろうか? 彫刻刀を排除することよりも、彫刻刀を用いつつ、しかし子どもたちのケガを未然に防ぐにはどうしたらいいか、との方向から考えていく必要があるのではないか。

 

 えーっと、中身は適当なので、「どこにそんなこと書いてあるの?」とかは探さないでください。今5分くらいで考えた適当な文章です。

 これ、要するに、通販番組の冒頭でしょう? 「階段を登ると膝が、痛い……」とか、そういうやつ。そういうのに時々、「中高年の約半数が階段の上り下りに不安を感じている(番組調べ)」というのが付くことがあるが、要はこれが、「先行研究」だ。そういうデータを幾つか挙げて、「確かに、こういうこと、あるよねえ」って読者に思ってもらうのが、「問題」の役割です。

 

 大切なのは、先行研究を駆使して、「あるある、こういうこと」と同業者に思ってもらうことです*1。「こういう状況でこういうこと、あるよね」、「この素材においてこの現象、まだ未解明だよね」とか、そういう「研究者あるあるネタ」について、先行研究を踏まえて上手にまとめていけたら、「問題」が完成します。

 

2.目的

 これは、通販番組で云うと、「そこで本日ご紹介する、この商品です!」に相当します。

 

 いろいろあるあるネタとして、「問題」をまとめてみました。そのことが、この研究で解決するよ……とは論文の場合にはいかないのですが、少なくとも掲げた「問題」に対して、一定の方策を見出すのがこの研究であって、その方策として、「研究の目的」があるわけですね。「こんなふうに困っているでしょ。それを解決するために、このことを考えなくっちゃね」、これを「目的」として書きます。

 

 筆者は小学校の図工の時間において、安全に彫刻刀を使う試みを行ってきた。そのためにいくつかの工夫をしており、そのことを紹介することは全国の小学校教諭にとって意味のあることだと思われる。今回の研究では、この取り組みを紹介し、安全に彫刻刀を使うための工夫について伝えるとともに、この安全に彫刻刀を用いる活動の中で見えてきた子どもたちの変化から、彫刻刀を用いることの意味を考えていきたい。

 

  ま、こんな感じかな。

  かなり、通販番組とは違う形になりますが、「自分はこれからこの商品を紹介するよ」と云うことと、「この商品はこういうものに使えるんじゃないかと思うよ」とか、そういうことを書くのが「研究の目的」です。

 

 で、実のところ、「研究の目的」って、一番大事なんですよね。一番サラッと書ける(=短い)箇所ではあるけど、論文のカナメはここではないか、と最近考えている。人体のカナメが腰だとしたら、論文のカナメは「目的」。どちらも目立ちにくい場所だけども、ここがすべてを決める。

 ……というのも、小学校の図工教育とかは全然関係ないんだけど(全く知らないし)、実践分野の研究(実践知の構築)を目指す立場の人にとって、「どのデータを入れるか」はけっこう難しい問題なんですね。「学級運営について」とか考えてみても、学級で起こることってあまりにも多すぎて、まとめきれない。どの情報が大事なのか不要なのか、見えてこない。

 そんなときに、「じゃあ、この研究は何を目的とするのかな?」と考えると、「あ、これは要らないや」、「あ、これは要るね」という判断ができるようになるんです。

 「目的」というものがあって、それに対して必要なものが見える。「海外旅行にいくんですけど、何が要りますか?」と云われたって、「パスポートは必須だけど……そもそもどこに行くのよ」って話になると思います。「冬のヨーロッパです」、あ、じゃあ防寒には気をつけてね、とか、「台湾に行きます、台北九份です」、あ、そうなの、九份は雨が多いと云うから雨具は忘れないでね、とか、「どこに行くか(&何をしたいか)」によって、持参物は変わります。論文も一緒。「何を明らかにしたいか」によって、必要な記述は変わってきます。

 

3.方法

 通販番組では、ほぼ「結果」に紛れているけれども、「通常の包丁と比べてみましょう」とか、「従来品と比べてみましょう」とか、この商品の有用性をどのようにして明らかにしようとしているのか、その方法論を示す箇所です。

 

 論文では、(実践型の研究だとないこともあるけども)実験道具であるとか実践背景とか、次に出てくる「結果」の背景にある現実的な事象をまとめている箇所です。何を使ったのか、いつやったのか、誰にやったのか。要は「事実関係」をまとめて提示しています。

 

対象:A小学校 5年生

時期:2015年〜2018年

教科書:光村出版 新しい図工 5上

 

 こーんな感じで、事実関係をまとめて示しておくのです。他の人が同条件で再現しようとするときのヒントになったりします。あ、さっき「目的」を一番サラッとかけるといったけど、本当の意味で頭を悩ませないのはこっちかな。だって事実を書くだけだし。

 

4.結果

 通販番組なら、「ほら、こんなにきれいに取れました(うわあ←観客の声)」みたいな部分です。「高いところの汚れも、こんなに綺麗に」、「落ちにくいフライパンのこびりつきが、一発でキレイに」、「切りにくい枝も、楽々カット」、えーっとあとなんだ、まあ適当に想像してください。

 

 研究論文では、「方法」で示したやり方に基づいて、どのようなデータが得られたかを示す場所です。具体的事実、客観的出来事、実験結果などを示します。

 ここに考察入れちゃダメなんですよね。この辺は「科学」を名乗る特徴かもしれません。「事実と推測を分ける」なんてことはよく云われます。「事実として生じたこと」と、「そこから考えられること」は分けなければいけません。結果というのは、まさに証拠evidenceなのです。ま、「結果と考察」と混ぜる人もいるけども、それはそれでアリなんですが、でも、結果の記述か考察の記述なのか分からない書き方をしていたら、間違いなくつっこまれるでしょうね。

 科学は再現性が大事なので、「同じ手続き(方法)に基づけば同じ結果が得られる」というのは大前提な訳です。だから、「方法」と「結果」は、客観的に書く必要がある。いくら、「○○細胞は、ありまーす」といったところで、同じ方法を取って同じ結果が得られないと、信じてもらえないってわけなのです。

 ……まあでも、この辺は人文系だともう少しゆるかったりしますが。定性的(質的)研究と云われたり実践研究と云われたり、最近では「当事者研究」というものもあるけれども、そういったものは「厳密な再現性」は求められませんね。人間に関わる研究はある程度文脈依存的なものも大きいから。ただでも、その「文脈」をきちっと記述していこうや、ってのが最近の流れのように思います。

 

 A小学校の図工の時間においては、彫刻刀を扱う前に、一時間説明の時間を設けている。まず……

 

 ここになるとちょっとボロが出てきそうになるので、架空例は割愛。具体的にどのような取り組みをしたか、どのような結果が得られたか、どのようなデータがあるのか、そうしたことをここでは示します。

 

5.考察

 通販で云うと、商品の魅力を遺憾なく語る場所です。「この商品さえあれば、皆さんのお困りごとは一挙解決!」とか、「これ一つあれば、今までの家事で使っていた、これだけの道具をおかなくって済むんです!」とか、まあ他の商品との比較などをしながら、紹介した商品の有用性などをいろいろ示すわけですな。

 

 論文は、通販とはちょっと違うんだけども(おい)、でもそれでも、「結果」に基づいて、当初の「目的」を達成するために、あれやこれやと考える部門です。まあでも、「ほらこの考えによって、よりクリアになったでしょ?」とか、自分の考えを売り込むという点では、通販番組とあまり変わらない(ノークレームノーリターン)。

 考察で大切なのは、「結果に基づく」と云うことです。結果を基に、先行研究なども参考にしながら、論理的に、蓋然性の高い結論を導き出す。これが重要。時々、先行研究の当てはめに必死な論文とかもあるけども、そういうのはちょっとなあ、と私は思う。あくまでも自分がやった何かしらの「事実」があるわけだから、それに基づいて何を考えるか、そこから何が明らかになったと考えられるのか、そこを示すのが最初にすることです。

 理系ではそういうことはないかもしれないけど、文系ではある程度推測に基づいて論を立てていくしか仕方がないところがある。人間関係を取り扱うような分野とかは、因果関係を導くような厳密な実験がとりわけ難しいから。で、最近思うのは、「あ、蓋然性ってことば、いいな」ということ。必然ではない。絶対ではない。しかし、「こうなったらこうなると考えていいよね」という蓋然性を高めていくことはできる。そこのロジックを組み立てていくのが「考察」なのではないかな、と云うのが私の考えだ。

 

 A小学校において、事前に一時間の説明を入れたのちに版画に取り組んだことからは、やはり彫刻刀の乱用は減ったと考えられる。表1のデータにあるように、具体的な数字になって現れているし、これは冒頭挙げた厚生労働省(2015)のデータと比べても明らかに少ない。

 では、これはA小学校に固有のものなのだろうか? そのことを検討するために、筆者が取り上げたいのは山本(2000)による次のような取り組みである。

 

 んー、あんま通販っぽくないな(笑)。まあいいか。

 ともかくここでは、結果に基づいて、実践結果をあれこれふり返り、当初の研究目的に向けて論を組み立てていくわけですな。その時には先行研究を参考にしつつ、自分の研究結果(データ)を用いつつ、さまざまな情報をもとに論理的に考えを深め、同業者になんとかして使ってもらえるような事実(や認識枠)を提示するのです。

 論文で一番大切なのは考察だけども(理系では結果のほうが大事かなあ)、それもつまりは、「この商品、便利でしょう?」を納得してもらうお話作りが必要になると云うことなのです。

 

 

 

 ……とまあ、こんなふうに思うんですけども、如何なもんでしょうねえ。とりあえず、過去記事も貼っておく。

 

librairie.hatenablog.com

 

 

*1:あ、私は文系研究者の端くれなので、理系研究者では「違うわ!」と云われる可能性もある。