『さよならミニスカート』2巻感想〜オンナであることの傷つきがどう癒されていくのか〜

 Twitterでも書いたけど、「特典あり」とか書かれててなんだろう、と思いつついろんな本まとめてレジに持ってったら、「どれになさいますか?」とファンシーなブックカバーを並べられて選ばされるっての、なかなかの羞恥プレイですね。いや、選びましたけども。

 

 さて、さよミニこと『さよならミニスカート』の2巻、買ってきました。感想をつれづれに(ネタバレ的なものは含んでいるので、気になる人は以下を読まないように)。

 

 

 

 

 

****

 一番の感想は、「未玖ちゃん、つらすぎやろおまえ」ってやつなんですが、それも含めて最初のほうから。

 

 まず、仁那のトラウマが最初に明らかにされてますね。トラウマと云うほどトラウマではないけども、母親の再婚相手がいて、ということは父親とは離別してるか死別してるかで、小さい頃は不在がちの母親(&父親)を埋めてくれるものとしてテレビのアイドルがあった、と。落ち込みがちな、暗くなってしまいがちな自分の悲しみを、幾分躁的にだけれども引き上げてくれるもの、元気づけてくれるものとして、テレビの中の「いつも元気な(=元気をくれる)アイドル」がいたわけだ。

 

 ちょっと書いたけど、これは要するに、「傷つきの否認(躁的防衛)」ですわな。悲しみを悲しみとして見つめるのではなく、「いつも元気」にふるまうことにより、傷を見ないようにする。

 傷、と云うか、本心でもあるか。「本当のことなんて言っちゃダメだよ/(妹と弟の)どっちもほしくない」というモノローグにもあるよう、「本当の気持ち」を隠してふるまわなきゃいけない、という構造があるわけですね、ここには。

 

 この、「本当の気持ちを隠さなきゃいけない」というのは、光くんへの恋心というテーマとも重なってくる。そしてまた、「世間一般から要求される姿に答えていかないといけない」という構図とも同じですね。これは「アイドルをする私」でもあり、そして同時に、「女子であることを要求されるオンナという生きもの」(への問い)というこの本の一大テーマでもあります。

 

 この点において、未玖ちゃんが、仁那のカウンターパートとして要求されるわけです。

 ある意味未玖ちゃんは、「クラスのアイドル」です。みんなに明るく振る舞い、男性からの性的な視線も軽く受け流し、空気を読んで雰囲気を作っていく。つまり、仁那にとっては「昔生きていた私」でもあるわけですね。まあ、未玖ちゃん、光くんを落とそうとあの手この手で絡め取っていくわけなので、そのしたたかさには舌を巻きますが。

 

 しかし、2巻。

 後半で、なんやかんやいって光くんに帰り道を送ってもらうことに成功した未玖ちゃん、でも光くんとちょっとしたことで離れてしまいます。その瞬間、未玖ちゃんは男に拉致されて、(程度は不明だが一線は超えてないらしきものの)暴行されます。人気のないところに連れ込まれて、どうやらなんか写真はとられたらしい。この写真、今後どうなるねん、というのはさておき、その後未玖ちゃん、クラスメイトからの連絡に答えて、何もなかったかのようにふるまいます。

  たまたま通りすがった、痴漢被害のある女の子に、「親に自分が何されたか言えた? ……誰にも言わないで」。そう伝え、翌日は、全くいつも通り、元気元気な未玖ちゃんです。

 事の真相をしった仁那は未玖ちゃんに「そんな風に「可愛い」を使うのはやめて/そんなのは苦しい/苦しいよっ」。未玖ちゃんはそれに返します。「どうして女の子のアイドルはみんな/30歳になる前に消えちゃうのかな」「私は何も与えてやらない/この世界を利用して/奪う側に立ってるだけよ」。

 

 

 つらい……。

 

 つらい…………。

 

 オンナであると云うことで世界からなにがしかの剥奪を受けているならば、しかしそこをかいくぐり、「上手に利用して」(これ、よく云いますね。そういう世の中だからそれを利用してやらないと、と)奪う側に立ってやる、と。

 これはよく起こる反転です。「攻撃者への同一化」と云ってもいいと思う。自分が奪われた側に立たされたとき、その傷に傷つく前に、奪った側の立場に立とうとする。苛められた子どもが、より弱い立場のものを苛めるように。なぜなら、そこで傷つくのはもっとみじめになるから、みじめになる前に=傷ついたと認めないように、自分は強い立場に立つ(と思う)ことで、それを躱そうとするわけです。

 ほら、ここでも出てきました。「傷つきの否認」。そういう未玖に仁那は云います。

 

「長栖さんはいつだって 奪われてばっかりじゃない!!」。

 

 Brilliant interpretation.

 

 その通り、「奪う側に立ってやる」と言いながら、常に剥奪されているのです。常に剥奪されているから、それを否認するためには、ずっとずっと今の立場を続けないといけない。常に身軽に、ヒラヒラと、受け流し、やり流し。それは一見身軽に見えるけれども、帰るところを持たない飛行機のように、燃料切れの恐れを抱えているわけです。

 

 彼女はその「燃料」をどこに求めるか。光くんしかありません。周囲からも一目置かれるイケメン同級生に愛されることでしか、彼女の燃料は得られません(と彼女は思い込んでいます)。そして未玖ちゃんは、自分の中の汚いものを全部消して、と光くんにキスを迫るのですが、この感覚、すごいですね。いや、起こりがちな感情でしょうが。

 

 水商売で稼いだ女性が、ホストにつぎ込む的な話はよく聴きますが、「汚いものを投げ込まれた」とき、「なにかで浄化しないと消せない」との思いにとらわれることはしばしば起こるのでしょう。彼女は自分が汚れたと思っている。しかしその汚れを誰にも見せられないとすら思っている。少なくとも、同一階層の女の子には見せられません。たまたま通りすがった、自分より「下層」の女の子には見せられても。

 そうした「汚れ」は、「話す」ことで「離す」ことができる場合もあります。人は話すことにより、「そうある自分を実感持って引き受ける」ことになり、行き場のなかった思いが浄化されていくことがあります(もちろんすべてではないけど)。しかし、彼女は「はなせ」ない。「汚れた」と云うことを自分が引き受けられない。

 じゃあどうするか。「王子さまのキス」による魔術的解決を図るのです。

 

 しかし、悲しいかな、王子さまのキスでカエルから人間になれればいいのですが*1、「王子さまのキス」に求める限り、結局外部のリソースにしか依存できなくなる。先ほど云った、「傷つきの否認」は何も変わらないわけです。私は傷ついていない、でも浄化にはキスが必要だ、じゃあどうする。ずっと王子さまにいてもらうしかない、王子さまと常に一緒にいることができたら私の傷は浄化されるはずだ。

 

 しかし……王子さまもいつまでも一緒にいられるわけではありません。そもそも、王子さまがいるから浄化されるという発想は、王子さまへのしがみつきすら呼ぶでしょう。無論、人は一人で生きていけるわけではないので、王子さまと手を取り合って生きていくことは可能でしょう。しかし、手を取り合うのとしがみつくのは違います。しがみつかれたら誰でも振り払いたくなる*2。お互いが個であるという前提をともに、手を取り合っていけるのか。

 

 

 このマンガは、「オンナであると云うだけでオトコ(的社会)から受けている簒奪」がテーマであるとは思うのですが、そこにオトコ=光くんがどのように絡んでくるのか、が見所だと思っています。一巻では、古典的少女漫画というか「王子さまのキスによる魔術的解決」にいく匂いがしましたし、二巻では、「私たち(=オンナである存在)のことを絶対に傷つけない」存在であるとの描かれ方をしています。しかしこれでは、ある意味旧来の少女漫画的文法に陥ると思います。無論、それはそれでありなんですけれども。

 つまりこれは、「傷つきを他者の愛情によって癒す」物語です。これは謂わば、未玖ちゃんが光くんのキスによって浄化されようとした物語と同じです*3。他者からの愛情供給が前提な訳ですから。ここでの他者は、積極的関与する他者です。それなしには生きていけない他者です。

 

 ところが、この物語はそういう古典的王子さま的解決をするのでしょうか。興味深いポイントは、この王子さま自身、妹をオトコの手から守れなかったというトラウマを抱えているというところです。つまりある意味、彼も「オトコの視線に(同胞が)傷つけられた」存在なのです。「完全無欠の他者が、傷つきのある私を万能的に癒してくれた」話にはなりえません。

 一つの可能性としては、「オトコの視線に傷つけられた王子さまが、オトコの視線に傷つけられた少女(たち)を癒す」物語になる、かもしれません。傷ついたものが傷ついたものに癒されるお話です。しかしそれでは、「傷つき同盟」のようでもあります。それももちろん大切なことですが、若干共依存的です。

 

 傷のあることは大切なことだと思います。傷ついているというのは、弱い自分が曝されていると云うことです。この弱さは、弱さにアプローチする大切なポイントです。多くの場合、弱さは、弱さをさらけ出してしまわないように、何らかのカバーで覆われています*4。そのカバーを一時的にでも外してもらうためには、何らかの別の傷つきが必要です。そのため、光くんの傷は彼女らの傷にアクセスするために大切なキーです。これなくしては、彼女らの傷に触れることすらできないでしょう。

 武装解除としての傷つき(に伴う感受性)は必要だとしても、それのみでは、どこか退行的にすらなります。先に挙げた「傷つきを他者の愛情によって癒す」という、王子さまのキスと同じです。融合によって人の傷に触れることは必要だとしても、融合のみでは前に進めないのです。そこで、融合という形で自らの傷に向き合うことができたとき、その傷を、どのようにして癒していくのか、が課題になるでしょう。そこで、王子さまの積極的関与を前提とするのか(=キス的な常時の愛情)、王子さまの見守りがありながらも自らが自らの傷を癒していくのか(=傷を癒すのではなく傷から逃げない愛情)、このどちらの路線にいくのかが、今後の見所だと考えています。

 

 

 ……まあ、そのどっちでもない可能性もあるけども(笑)。

*1:おっと、これは性別が逆だったな。

*2:いや、しがみつきを許容するタイプの人もいます。よくある共依存です。

*3:20年2月追記:これを否定して流行ったのが、ほげじゃー、もとい、れりごーですな。

 

librairie.hatenablog.com

 

*4:この物語で云うと、「アイドル」や「男装」というカバー。