こころの中の民主主義〜多様性あるこころを生きる〜

 最近、「こころの中の民主主義」ということを時々考える。

 というのも、時々「こころの中の独裁政治」になっている人を見るからだ。

 

 当たり前だけれども、私たちは一つの物事にもいろいろなことを感じる。好きとか嫌いとか最初に言い出したのが誰だかは知らないけれども(伊藤計劃)、この感情だって相交じることはある。「このお笑い芸人、好き」、「この作家の文体、嫌いなんだよなあ」くらいなら、まあある程度きれいに分かれている。しかし、好きすぎて嫌いになることもある。

 

 例えば、相手のことがとても好きで、好きで好きで好きすぎて、思い通りにならない相手に腹が立ってならない、とか。

 こんなに自分は好きなのにどうしてその思いに応えてくれないのか。私が好きな気持ちを相手が分からないのが、イヤになってきて相手のことが許せない。私をこんな苦しい気持ちにさせるあの人なんて、死んでしまえばいい。などなど、「愛憎入り乱れる」という表現があるように、好きが高じて嫌いが入ってくることは、ままある。多くのストーカー犯罪はそういうものだ。

 嫌いという感情にしたって、「好きの反対は無関心」と云われるように、相手に関心を寄せているから嫌い、ということもある。何かしら自分のこころの中に刺激されるところがあって、そこが刺激されるから嫌いになるのであって、嫌いな人はだいたい自分の中にどこか重なる要素があったりするものだ*1

 

 このあたりは極端な例だけれども、でも、私たちが抱く感情は、そんなきれいに分かれているものではない、ということだ。

 好きだし、嫌い。やりたいけどやりたくない。やらなくちゃいけないのはわかっているけどやる気が出ない。勉強したほうがいいのは確かだけれどもめんどくさい。醜いと思っていながら目が離せない。相手を傷つけると分かっていながらも、その考えが思い浮かぶ。

 こころの中で浮かぶ想いは、100%一つの意見で占められているわけではなくって、どんなに「すごい好き」な人にしたって、イヤなところはある。恋愛初期フィルターでは「そこがいい!」となることもあるが、まあでも、「いい!」と思ってるところと「ん?」となるところは同時にあってもおかしくない。というか、それが普通だ。だって、いろーんな気持ちを私たちはもっているんだから。

 

 ところが、ここで「独裁政治」になる人がいる。「やらなくちゃいけない」、「勉強したほうがいい」という気持ちがこころの中の絶対多数になっていたりすると、少数派の意見を見ないようにしてしまうのだ。

 「授業は出たほうがいいと思ってるんです」、「任された仕事は完璧にしあげないといけないと考えています」、「まわりの人に迷惑をかけてはいけないんです」、「男だからこうふるまうべきなんだ」。こうしたこころの中の多数派が、「でも、本当は出たくないんだよな」、「でも、もうカラダがきつい」、「でも、時々は甘えてみたい」、「マッチョな社会にはついていけない」という少数派の意見を押し殺す。数は力、とばかりに強行採決をはかり、「これが正論だ」と独裁的になる。

 

 これやってると、一時的にはいいかもしれないんだけれども、長い目で見るといろいろ破綻をきたすわけですよ。ほら、うつ病とか。

 世の中にいろんな人がいるように、自分のこころの中にもいろんな意見がある。ワガママな気持ちだったり、甘えたいような感情だったり、暴力的な衝動だったり。その中には、そのまま出てきちゃったら大変なものもある。だから民主主義的に、「まあ、そんな気持ちもあるけれども、とりあえず今は、ガマンしておこうや」と少数派の意見を斟酌しながらも、まあなんとか落としどころを探していければいいんだけれども、時に、この少数派の意見に耳を傾けるのが恐くなる人がいる。

 それは、ちょっとでもそっちを見ちゃうと、引っぱられそうになるのかもしれない。そこにあるのは、おそらく「おびえ」だろう。そういうことが少しでも自分の中にあると思うと、恐くなっちゃうのだ。自分の中にそういう考えがあると、いつの間にか発生したカビのように、それが知らない間にじわじわと繁茂していくことへの恐怖を感じているのかもしれない。

 

 人間のこころの中には、いろんな要素がある。その中には、なかなか自分でも許しがたい要素もあるかもしれない。でも、それでもどうしようもなく自分の一部だったりする。それを除去したらどうなるか? 削って、削って、削って、それで綺麗になれるというのだろうか? 「手術は成功した、しかし患者は死んだ」のように、悪いものを切り落とした挙げ句、命を落とすようなことにならないだろうか?

 

 和解するのが難しい、自分のこころの一部もあるだろう。どうしてこんなふうに思ってしまうのか、考えなければ楽なのに。でもついつい、そんな考えを持ってしまう。どうしたらいいんだろう、と途方に暮れる人もいるだろう。

 でも、「考える」ことは自由だと、ボクは思う。表に出すのは難しいかもしれない、でも、そういうこころの要素があってもいい。表通りに出なくてもいい、裏山でひっそりと暮らす分には問題ないじゃないか、とか。あるいは裏山まで隠れなくとも、海に出かけておきながら海の家でずーっとのんびり過ごすあり方とかでもいい。高級リゾートに出かけて、何もせず海沿いのベッドで寝転ぶなんてのも、最高じゃないか。メインストリームの人は、海に出かけたらサーフィンするもの、といわれても、まあでもずっとサーフィンしてられるわけでもないし、しなくちゃいけないわけでもない。いろんな人が、その人なりのおりやすいあり方で生きていけばいい。

 こころの中でも、そういう、自由なあり方の共存を、認めていってもいいんじゃないだろうか。

 

 数は力とばかりに押し切るのが、必要なときもある。えいや!と思って進まないと変わらないこともあるし、例えば目の前に火事が迫っているときなんかは、民主主義でどうしようと考えるよりはパターナリスティックに事を進めることがむしろ必要だ。でも、そればかりというのも、結局は禍根を残すだけとなる。その時、できる限り対話を進めて、できる限りの合意形成を図ろうとすることは必要な手続きなんだし、それが民主主義ってもんだ。

 自分のこころの中でも、そういう、対話による合意形成を図ることは大切だ。そうしないと、結局自分のこころがやせ細ってしまって、生きているのに生きている実感が持てないとか、そういうことになるんじゃないだろうか。

 

 

 なお、もう一つ、「じゃあ、ヘイトスピーチはいいのか? あれだって表現の自由だろう?」という問題もある。こころの中に、あまりにもサディスティックな想いが湧いてくる、とか、あんまり世の中に出すのは望ましくない表現もある、とか。それについては上記にほぼ答えは出てるけど、それはまたいつか時間のあるときに。

 

 なお、本稿は、まつむらまきお氏の以下のtweetに触発されて書いたことを付記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ま、この辺はユング心理学で云うシャドウですな。

ゆうびんやさん、だいじょうぶ?

 ちょっと気になったこと。

 

 昔々。

 年賀状を見ていたら、けっこううろ覚えの住所があった。

 漢字が違う、番地が違うくらいならまだしも、町名が途中までしか書いていないとか、隣町が書いているとかもあった。でも、それでも、おそらくフルネームの漢字を頼りにして(「○○町の××××さん? ああ、これは△△町なんじゃないか?」的な)、届いていたりした。漢字も町名も間違っているものでもそれなりに見ていたりしたから、「郵便屋さん、よく頑張ったなあ」などと思っていたりしたもんだ。

 

 しかし、ひょっとしたらここ数年。

 それが壊れてきているように思う。

 

 * * * * * *

 きっかけは数年前、引っ越しをしてからのこと。

 

 年賀状がちょっと減ったという疑惑が生じた。正確に云うと、父母からの年賀状すら届いていないことがあったのだ。

 「あれ、そういや今年送ってないの?」

 「え、届いてない? ちゃんと期日までに出してるよ。また出すわ」

 「いやそんなわざわざいいよ」

的なやりとりをしたことがあった。

 

 んー、なんでだろう、とか思ってたんだけども。

 

 別の機会(正確に云うと上記より先)。

 知らない人(正確に云えば、同姓の人)の郵便物がうちに入っていた。

 ちなみにこれは、名字が同じなだけで、番地は違う。その方の番地として書かれていた数字が正しかったのか私には確認しようがないけれども、少なくともうちの番地ではなかった。まったく違っていたので、その人の番地である可能性は高いと思う。

 

 「ありゃ、誤配かなあ」って理解して、郵便屋さんに連絡して善後策を訊いた。

 

 

 同じことがもう一度あった(正確に云うと年賀状よりあと)。

 

 

 考えられること。

1)たまたま誤配が続いている

2)町内の番地の違いを識別できない郵便局員(仕分け人)がいる

 

 

 * * * * *

 これ、全国で起きているような気がするんですよ。

 ちょっとサンプル数が少ないんですけど、「珍しい名字(但し旧姓)の方に送った郵便物が届いていなかった」、「ありふれた名字の方に誤配が最近多い」という情報をちょろっとつかんだんですよね。なお地域は全然違います。ええ、全然。

 

 私のところも上記二件の情報も、関東圏ではないけれども、その圏内においては主要都市と見なして差し支えのないような場所です。北海道なら札幌、東北なら仙台、中部なら名古屋……など、具体的に云うなら「区」があるくらいの都市部です(うち一件は違うがそれでも充分都市部)。

 

 これらの情報から考えて、

「郵便屋さんの誤配は、以前より増えた」

        =「郵便屋さんの仕分けに、プロが減った」

という仮説も、成り立つのではないか、と。

 

 * * * * * *

 

 沢山の情報を処理していると、細かい違いって見えにくくなるんですよね。番地によって区分されてて、名字があって、だと、細かい数字は見ずに「はい、たぶんここね」と処理しちゃうことって、起こりうると思うんです。

 

 ヒューマンエラーは、絶対に起きる。

 

 ただし、それを起こさないように、いろんなフェイルセーフがある。

 

 この、フェイルセーフが機能しにくい時代になっているのではないか、と。

 

 「これを英語でテキザイテキションと云う」

 (田島列島*1

 

 そういう、細かい違いに気付きやすい人っているんですよね。私も会議で、「すみません、ここ漢字間違ってます」とかいちいち指摘して嫌がられてるんですけれども、私そういうの気付くタチなんです。莫迦だから。

 

 でも、そういう莫迦だからこそ、気付ける違いもあるんです。

 

「ん? お前は新入りかい? じゃあしっかり憶えなさい。

 同じ町内で名字が一緒と云えば、44番(仮)の○○さんはXさんとYさんとZさんの3人家族で、79番(仮)の○○さんはPさんの一人暮らしだから、まあ下の名前さえおぼえれば大丈夫。

 難しいのは38番(仮)と83番(仮)の△△さんで、更に難しいことに、38番は智子(仮)さんで83番は知子(仮)さんだから、うっかりすると間違えてしまうんだよ。要注意な。」

 

 この、本当に微妙な違い(例えば鈴木知子さんと鈴木智子さんが同じ町内にいる状況か)があっても、「それでもなんとか届けていた」のが、民営化前の郵便局なのではないだろうか。いつの間にかそれが、郵政民営化だのなんだの、効率化・顧客サービスを求める声に押されて、そうした現場の知恵を持つ貴重な人材が、そのunconsiousな知恵ゆえに「エビデンス」もなく「数量的裏付け」もなく駆逐されてしまい、残るは責任感の少ないバイト(あるいは所属意識やresponsibilityを持ちようもない契約社員)が「ただ仕事を処理するためだけの頭数」としてしか必要とされていないということなのではないだろうか*2

 

 * * * * * * 

 

 そういう、どうでもいいところに気付いて憶えていて、鈴木知子さんと鈴木智子さん(鬱陶しいが、仮、です)が違う人だと識別できるような能力を持つ人って、だいたいにおいて、人とのコミュニケーションがうまく取れなかったりするんですよね。対面での情報処理はすごく下手。視覚と聴覚とが同時に押し寄せると混乱してしまう。

 でも、文字情報を識別するのはとっても上手。もし隣町に鈴木朋子さんがいたとしても、その違いをしっかりと区別して、「この人はここだよね」とちゃんと仕分けができたりする。そういう人って、(もうこれは100%推測なんだけど)いたんじゃないかなあ。

 

 20年前、30年前がよかったと云うつもりはないんだけれども、そういう「ちょっと変わった人」でも、それなりにお給料がもらえて、昇給とか昇進とかはあまりのぞめないけど、現場にずっと立ってたらしっかりと仕事はこなしていく人、いたはずですよね(私の脳内ムービー『太秦ライムライト』)。

 でも、バブルも崩壊して、社会人基礎力だのコミュニケーション能力だの、そういう皮相なところばかり評価されるようになると、みんながみんな、プレゼンだのなんだのばかりやらされるようになる。

 

 いや、プレゼンの重要性は否定はしません。でも、みんながみんな、プレゼンがうまくなればいいってもんなの? 世の中のどの人も、TEDのメソッドを叩き込んで、笑いの取れるプレゼンができればいいってことなの? いや、そういうことで上手に社会と渡り合えるようになるのならそれはそれでいいんだよ。でも、そこまでうまくない人でも、(そんなにお給料は貰えないかもしれないけれども)世の中で「普通」に生きていけることこそが、「産まれてよかったなあ」って思えるような、そういう社会になるんじゃないのかなあ。

 

 「コミュニケーション能力」とか「プレゼン能力」のみが評価されて、そういう細かいところの識別能力が軽視されているような世の中だとしたらーーあまつさえ彼らを「○○障害」としてしか扱えないような世の中だとしたらーー、実はこれ、社会の損失なのかもしれない。こんなことは今までも何回かまとめているけど、本当にそう思います。

 

 だから、ちょっと変わった人で偏屈でもいいじゃない。そういう人が、曖昧な住所でもちゃんとボクのところに年賀状を届けてくれて、旧姓の人にも番地が合ってたらちゃんと郵便物を届けてくれて、同姓の人が町内にいても番地でしっかりと区別してくれる。それこそが、本当の「豊かさ」なのだと思う。

 

 

……誰だ? 「そんなんだったらもう郵便局を使わなければいいじゃない?」って云ったマリーアントワネットは?

*1:ごめん、うろ覚えなので言い回しは違うかも

*2:一つだけ注意したいのは、我々にとって昔は常によいものとして映りかねないこと。不便なことがあってもすっかり忘れて、美点だけが思い越されるのです。中学生時代の恋のように(BGM:グッバイレーニン)。

蹴上〜東山三条間って、昔々は違うところだったらしい(いや、地下鉄の前でなく)

まえがき

 

 過日、琵琶湖疏水記念館に行ってきた。

biwakososui-museum.jp

 まあ、散策のついでにフラッと、ではあったんだけど、こういうところに付きものの、「1915年の蹴上の様子再現模型」があった。

 

 蹴上というのは、実際京都の東の外れではあるものの、観光地としては南禅寺インクライン、ホテルは(ウェスティン都ホテル、岡崎動物園や発電所などがひしめくなかなかの面白い場所である。インクラインでは、桜のシーズンでは日本人あるいは近隣諸国から結婚式の前撮り写真を撮るカップルが同時に三組ほどいてもおかしくない*1

 

 「ほへー、およそ100年前か、どんなもんじゃろ」と眺めてたんだが、一つ、「おや?」と思う箇所に引っかかった。

 

 地下鉄東西線ができてもう久しく、蹴上に路面電車が走っていたのも「遙か昔」に属しそうな昨今だけども、その路面電車、私の記憶にある位置と違うのだ。

 

 「あれ? なんだか、ちょっと北にあるぞ?」

 

 私の記憶では——そんな耄碌するほどの昔ではないんだけどーー、昔の京阪電車京津線は、三条通を走っていた。都ホテル(当時)のすぐ南に無人蹴上駅(というか降りる島)があり、フォトジェニックなのか、確かアラーキーの写真でも蹴上駅でモデルを撮ったものがあり、木村紺『からん』でも路面電車時代の蹴上駅が登場していたはずだ*2。それは明らかに都ホテルのすぐ南、三条通を通っている。

 

 しかし、1915年(大正4年)の蹴上付近の様子では、「三条通」と描かれた位置のもう少し北、蹴上発電所のすぐ南を弧を描くように線路が引かれているのだ。

 

 おや??? まじで??????

 

 つーことで、以下では、鉄分要素が殆どない(と自称している)私が*3、昔の模型を見たことをきっかけに、鉄分の多いウェブ記事をもとにいろいろ調べてみた&推測してみた記録です。

 あ、半日ほど……もないな、数時間ほどの検索記録なので、執筆後も間違っているのが分かれば適宜訂正致します。資料とか、正式にやるといろいろ出てきそうだとは思うけど、私は鉄オタでもないし地理学も学んでないしで、調べ方とかよーわからんのですよ。

 

0.そのまえに……京津線と私(情報量0のコーナー)

(ここ、マジで読み飛ばしてもらっていいと思うくらい何も書いてません。)

 

 しかし、今回痛感したんだけど、鉄オタの皆さんって、すごいですね。鉄道の写真を撮っている人を見て、まあお好きなのね、くらいにしか思っていなかったんだけど、今回ウェブでちょこちょこと、「昔の京津線」の鉄道写真を見てたらば、いろいろとよみがえってきましたよ、記憶が。

 「うわ、ここアレやん」とか、「あああ! ここ、こうなってた!」とか。

 

 私は、京津線とともに育ってきた……ん、ちょっと違うな。京津線沿線で育ってきた人なので、出かけるときは京津線だったのですよ。今は生家を離れて暮らしておりますが、それでも、今までの基本生活圏をプロットすれば10kmの円には余裕で収まりそうです。狭いな……。

 そんな京津線沿線が生まれてからの記憶に根ざしている人間にとっては、昔の京津線の写真を見たら、いろんな記憶がよみがえるに決まってますやんか。鉄オタの方によるらしきブログを見るだけで*4

 

 鉄道の写真って、電車を移しているだけでなく、やはり鉄「道」なのですね。ある意味華道とか茶道とかそんな類なのかも。お見合いで「趣味は?」「鉄道を、少々……」みたいな。

 まあいいや。収集とか記録とか、すごいなあと思ったってことです。

 

1.1915年頃の京津線蹴上付近について

 

 んで、「はじめに」に書いたように、昔の京津線に興味をもったので調べてみましたよ、ウィキペディア様で。

 

ja.wikipedia.org

 まあ、細かいことはどうでもいいけど、「歴史」ってのを見てみると、

   ・1912年(大正元年) 開業(三条と大津間)

   ・1931年(昭和6年) 古川町〜蹴上間を三条通路面電車に移設

   ・1997年(平成9年) 地下鉄東西線開業に伴い、三条〜御陵間廃止

っぽいのですな。

 

 ミソとなるのは、この「移設」。

 どうやら、開業当初は蹴上手前まで専用軌道(=路面じゃない)で来ており、蹴上すぎたら、専用軌道になって進み、東山三条(=古川町)あたりで(路面に?)出てきた。それを、昭和6年には、三条通の拡幅がおわり?とかで、蹴上から三条大橋までは路面電車で行くようになった、らしい。

 

 まあ、1912-1931の20年間だけ、蹴上〜東山三条間は今と……じゃないや、地下鉄東西線の前身、京阪電車京津線があった頃の線路とは違うところを走っていた、と。1931年になり、蹴上を過ぎて路面電車となり、冒頭示したフォトジェニックな場所として登場していたが、1997年に地下化に伴い廃止された、と。

 

 つーことは、67年ほどのお命だったわけですな、私が知るあの路線。そう考えると短いな。んで、その前は、20年間ほど、別の道(線路)を通っていた、と。

 

 ほなそれ、どこやねん。

 

2.大正時代の京津線蹴上〜東山三条間

 

 ま、蹴上と東山三条の間が気になりますわな。

 ググるしかできないので、とりあえずたどり着いたのはここ。

 

www.okeihan.net

 いやもうなんかいろいろど真ん中過ぎて、懐かしい思いを抜きにしては見られないページなのですが、それはおいとき今回のテーマに関するところでは。

 

蹴上〜三条京阪〈地下鉄東西線〉|鉄の路を辿る|湖都・古都・水都 〜水の路〜|おすすめ!|沿線おでかけ情報(おけいはん.ねっと)|京阪電気鉄道株式会社

 

 これの、「旧京津線跡」ってのを見てみたら、

地下鉄東山駅の北側に点在する、斜めに切り取られた駐車場や路地はその名残。京津電気鉄道の線路跡です。

とあるではないですか。

 

 ここか!

 

www.google.co.jp

 地下鉄東山駅古川町商店街を背にして、京都文教高校(旧家政高校)に向かう道の、あのいびつな形の駐車場。これが昔の線路の跡だというのか……。

 

 んで、地図見て、「ここかな?」と推測して線を引いてみたのがこちら。

 

大正時代の京津線(蹴上〜東山三条間) - Google My Maps

 

 このあたりだとおもうんですけどねえ、どうなんでしょ。 以下追記*5

 

3.答えあわせができてしまった

 

 そーいや、国土地理院が昔の航空写真を公開していたな、と思い探してみたけども、

geolib.gsi.go.jp

 

さすがに古すぎてなかった。

 

 んで、Googleのサービスらしき何かからたどり着いたこちら。

 

user.numazu-ct.ac.jp

 ん、どっかの大学の先生とこか? まあともかく、1920年当時の京都蹴上あたり。

 

 だいたい、いい線いってる、っぽいんですかね。1930年のにすると、現在の位置に来たのがよく分かる。惜しむらくは、その当時の航空写真がないことかな……。まあ無理もないか、大正期だ。

 

 まあしかし、こういうの見ながら町歩きするとか、面白いかもね。時間ができたら、岡崎のあの辺をぶらついて、「昔の昔の京津線、名残探し」とかしてみようかな。

*1:近年ここが通勤路なんですが、春とかすごいっすよ。

*2:『からん』……何故あそこで終わった……。

*3:いや、ホント、小さい頃に私は鉄オタ要素がゼロだったので、鉄分は少ないハズなんですよ。ある意味そう云う人が羨ましいくらい。

*4:検索してたら、仕事の関係で目にした人のブログにも突き当たり、おやまあ、まあやっぱり、って感じもしましたが。

*5:19.5.17;この地図見てたら面白いことに気がついた。この線の西の端っこ、グーグルマップのタイトルにもあるように「分木町」となってますが、この東の端は「東分木町」なのね。「分岐」に由来してたりするんだろうか。

『さよならミニスカート』2巻感想〜オンナであることの傷つきがどう癒されていくのか〜

 Twitterでも書いたけど、「特典あり」とか書かれててなんだろう、と思いつついろんな本まとめてレジに持ってったら、「どれになさいますか?」とファンシーなブックカバーを並べられて選ばされるっての、なかなかの羞恥プレイですね。いや、選びましたけども。

 

 さて、さよミニこと『さよならミニスカート』の2巻、買ってきました。感想をつれづれに(ネタバレ的なものは含んでいるので、気になる人は以下を読まないように)。

 

 

 

 

 

****

 一番の感想は、「未玖ちゃん、つらすぎやろおまえ」ってやつなんですが、それも含めて最初のほうから。

 

 まず、仁那のトラウマが最初に明らかにされてますね。トラウマと云うほどトラウマではないけども、母親の再婚相手がいて、ということは父親とは離別してるか死別してるかで、小さい頃は不在がちの母親(&父親)を埋めてくれるものとしてテレビのアイドルがあった、と。落ち込みがちな、暗くなってしまいがちな自分の悲しみを、幾分躁的にだけれども引き上げてくれるもの、元気づけてくれるものとして、テレビの中の「いつも元気な(=元気をくれる)アイドル」がいたわけだ。

 

 ちょっと書いたけど、これは要するに、「傷つきの否認(躁的防衛)」ですわな。悲しみを悲しみとして見つめるのではなく、「いつも元気」にふるまうことにより、傷を見ないようにする。

 傷、と云うか、本心でもあるか。「本当のことなんて言っちゃダメだよ/(妹と弟の)どっちもほしくない」というモノローグにもあるよう、「本当の気持ち」を隠してふるまわなきゃいけない、という構造があるわけですね、ここには。

 

 この、「本当の気持ちを隠さなきゃいけない」というのは、光くんへの恋心というテーマとも重なってくる。そしてまた、「世間一般から要求される姿に答えていかないといけない」という構図とも同じですね。これは「アイドルをする私」でもあり、そして同時に、「女子であることを要求されるオンナという生きもの」(への問い)というこの本の一大テーマでもあります。

 

 この点において、未玖ちゃんが、仁那のカウンターパートとして要求されるわけです。

 ある意味未玖ちゃんは、「クラスのアイドル」です。みんなに明るく振る舞い、男性からの性的な視線も軽く受け流し、空気を読んで雰囲気を作っていく。つまり、仁那にとっては「昔生きていた私」でもあるわけですね。まあ、未玖ちゃん、光くんを落とそうとあの手この手で絡め取っていくわけなので、そのしたたかさには舌を巻きますが。

 

 しかし、2巻。

 後半で、なんやかんやいって光くんに帰り道を送ってもらうことに成功した未玖ちゃん、でも光くんとちょっとしたことで離れてしまいます。その瞬間、未玖ちゃんは男に拉致されて、(程度は不明だが一線は超えてないらしきものの)暴行されます。人気のないところに連れ込まれて、どうやらなんか写真はとられたらしい。この写真、今後どうなるねん、というのはさておき、その後未玖ちゃん、クラスメイトからの連絡に答えて、何もなかったかのようにふるまいます。

  たまたま通りすがった、痴漢被害のある女の子に、「親に自分が何されたか言えた? ……誰にも言わないで」。そう伝え、翌日は、全くいつも通り、元気元気な未玖ちゃんです。

 事の真相をしった仁那は未玖ちゃんに「そんな風に「可愛い」を使うのはやめて/そんなのは苦しい/苦しいよっ」。未玖ちゃんはそれに返します。「どうして女の子のアイドルはみんな/30歳になる前に消えちゃうのかな」「私は何も与えてやらない/この世界を利用して/奪う側に立ってるだけよ」。

 

 

 つらい……。

 

 つらい…………。

 

 オンナであると云うことで世界からなにがしかの剥奪を受けているならば、しかしそこをかいくぐり、「上手に利用して」(これ、よく云いますね。そういう世の中だからそれを利用してやらないと、と)奪う側に立ってやる、と。

 これはよく起こる反転です。「攻撃者への同一化」と云ってもいいと思う。自分が奪われた側に立たされたとき、その傷に傷つく前に、奪った側の立場に立とうとする。苛められた子どもが、より弱い立場のものを苛めるように。なぜなら、そこで傷つくのはもっとみじめになるから、みじめになる前に=傷ついたと認めないように、自分は強い立場に立つ(と思う)ことで、それを躱そうとするわけです。

 ほら、ここでも出てきました。「傷つきの否認」。そういう未玖に仁那は云います。

 

「長栖さんはいつだって 奪われてばっかりじゃない!!」。

 

 Brilliant interpretation.

 

 その通り、「奪う側に立ってやる」と言いながら、常に剥奪されているのです。常に剥奪されているから、それを否認するためには、ずっとずっと今の立場を続けないといけない。常に身軽に、ヒラヒラと、受け流し、やり流し。それは一見身軽に見えるけれども、帰るところを持たない飛行機のように、燃料切れの恐れを抱えているわけです。

 

 彼女はその「燃料」をどこに求めるか。光くんしかありません。周囲からも一目置かれるイケメン同級生に愛されることでしか、彼女の燃料は得られません(と彼女は思い込んでいます)。そして未玖ちゃんは、自分の中の汚いものを全部消して、と光くんにキスを迫るのですが、この感覚、すごいですね。いや、起こりがちな感情でしょうが。

 

 水商売で稼いだ女性が、ホストにつぎ込む的な話はよく聴きますが、「汚いものを投げ込まれた」とき、「なにかで浄化しないと消せない」との思いにとらわれることはしばしば起こるのでしょう。彼女は自分が汚れたと思っている。しかしその汚れを誰にも見せられないとすら思っている。少なくとも、同一階層の女の子には見せられません。たまたま通りすがった、自分より「下層」の女の子には見せられても。

 そうした「汚れ」は、「話す」ことで「離す」ことができる場合もあります。人は話すことにより、「そうある自分を実感持って引き受ける」ことになり、行き場のなかった思いが浄化されていくことがあります(もちろんすべてではないけど)。しかし、彼女は「はなせ」ない。「汚れた」と云うことを自分が引き受けられない。

 じゃあどうするか。「王子さまのキス」による魔術的解決を図るのです。

 

 しかし、悲しいかな、王子さまのキスでカエルから人間になれればいいのですが*1、「王子さまのキス」に求める限り、結局外部のリソースにしか依存できなくなる。先ほど云った、「傷つきの否認」は何も変わらないわけです。私は傷ついていない、でも浄化にはキスが必要だ、じゃあどうする。ずっと王子さまにいてもらうしかない、王子さまと常に一緒にいることができたら私の傷は浄化されるはずだ。

 

 しかし……王子さまもいつまでも一緒にいられるわけではありません。そもそも、王子さまがいるから浄化されるという発想は、王子さまへのしがみつきすら呼ぶでしょう。無論、人は一人で生きていけるわけではないので、王子さまと手を取り合って生きていくことは可能でしょう。しかし、手を取り合うのとしがみつくのは違います。しがみつかれたら誰でも振り払いたくなる*2。お互いが個であるという前提をともに、手を取り合っていけるのか。

 

 

 このマンガは、「オンナであると云うだけでオトコ(的社会)から受けている簒奪」がテーマであるとは思うのですが、そこにオトコ=光くんがどのように絡んでくるのか、が見所だと思っています。一巻では、古典的少女漫画というか「王子さまのキスによる魔術的解決」にいく匂いがしましたし、二巻では、「私たち(=オンナである存在)のことを絶対に傷つけない」存在であるとの描かれ方をしています。しかしこれでは、ある意味旧来の少女漫画的文法に陥ると思います。無論、それはそれでありなんですけれども。

 つまりこれは、「傷つきを他者の愛情によって癒す」物語です。これは謂わば、未玖ちゃんが光くんのキスによって浄化されようとした物語と同じです*3。他者からの愛情供給が前提な訳ですから。ここでの他者は、積極的関与する他者です。それなしには生きていけない他者です。

 

 ところが、この物語はそういう古典的王子さま的解決をするのでしょうか。興味深いポイントは、この王子さま自身、妹をオトコの手から守れなかったというトラウマを抱えているというところです。つまりある意味、彼も「オトコの視線に(同胞が)傷つけられた」存在なのです。「完全無欠の他者が、傷つきのある私を万能的に癒してくれた」話にはなりえません。

 一つの可能性としては、「オトコの視線に傷つけられた王子さまが、オトコの視線に傷つけられた少女(たち)を癒す」物語になる、かもしれません。傷ついたものが傷ついたものに癒されるお話です。しかしそれでは、「傷つき同盟」のようでもあります。それももちろん大切なことですが、若干共依存的です。

 

 傷のあることは大切なことだと思います。傷ついているというのは、弱い自分が曝されていると云うことです。この弱さは、弱さにアプローチする大切なポイントです。多くの場合、弱さは、弱さをさらけ出してしまわないように、何らかのカバーで覆われています*4。そのカバーを一時的にでも外してもらうためには、何らかの別の傷つきが必要です。そのため、光くんの傷は彼女らの傷にアクセスするために大切なキーです。これなくしては、彼女らの傷に触れることすらできないでしょう。

 武装解除としての傷つき(に伴う感受性)は必要だとしても、それのみでは、どこか退行的にすらなります。先に挙げた「傷つきを他者の愛情によって癒す」という、王子さまのキスと同じです。融合によって人の傷に触れることは必要だとしても、融合のみでは前に進めないのです。そこで、融合という形で自らの傷に向き合うことができたとき、その傷を、どのようにして癒していくのか、が課題になるでしょう。そこで、王子さまの積極的関与を前提とするのか(=キス的な常時の愛情)、王子さまの見守りがありながらも自らが自らの傷を癒していくのか(=傷を癒すのではなく傷から逃げない愛情)、このどちらの路線にいくのかが、今後の見所だと考えています。

 

 

 ……まあ、そのどっちでもない可能性もあるけども(笑)。

*1:おっと、これは性別が逆だったな。

*2:いや、しがみつきを許容するタイプの人もいます。よくある共依存です。

*3:20年2月追記:これを否定して流行ったのが、ほげじゃー、もとい、れりごーですな。

 

librairie.hatenablog.com

 

*4:この物語で云うと、「アイドル」や「男装」というカバー。

利潤を生むこと、ことばにならないこと〜「生きる」と「生きのびる」〜

 「新自由主義」を、ざっくりと「すべてをビジネスとして考える」と云うことだと理解する。

 

 ビジネスとして考えるということは、つまり「儲けを生むか生まないか」ですべてを考えることである。儲けを生むものは「勝ち」であり、儲けを生まないものは「負け」である。生まない部門は「不採算部門」であって、整理の対象となる。そして儲けを生むものが重宝され、利潤が最大限となるよう工夫が重ねられる。

 判断基準は「利潤」という明確なものであり、分かりやすい。悩んだり迷ったりしなくてよい。「合理的」である。「だって、儲かってないでしょう?」と云われたら、何も返すことばはない。

 

 歌人穂村弘は、『はじめての短歌』の中で、「生きる」と「生きのびる」という二つの区分を挙げて見せた。生命として重要なのが「生きのびる」。生命を維持するというために行う行為だ。一方「生きる」、これは生命維持と直接関係はないかもしれないが、我々が人生を「生きる」上でかけがえのないものだ。ちょっとしたよろこび、おかしみ、哀しさ。合理的ではないかもしれないけれども、我々の生命を豊かにするもの、これこそが生きることだよなあ、と思えること。穂村は短歌が描くのは「生きる」ことだとして、この両者の違いを挙げている。

 

 この両者は、相反するわけでもなく、「生きる」ことは「生きのびる」上で成り立つとしている。マズローの三角形みたいなもんだ。「生きのびる」ことがなければ「生きる」は成り立たない。でも、「生きる」ことなくただ「生きのびる」だけでは、どこか虚しい。「強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きているに値しない」という名言を思い起こしてもいいだろう。

 

 何を思ったかというと、「新自由主義」というか、利潤のみが優先される世界というのは、ただ「生きのびる」ことにしか焦点が当たらない世界なんだなあ、ということです。

 貨幣に価値が一元化され、それですべてを図る。貨幣でなくても、量的価値観ですべてが支配されると、何か一元的なものの見方をしてしまうようになる。食べログ評価3.01と3.05では3.05のほうがおいしい、みたいなもんです。

 食べログ評価というと卑近になるけれども、でもそうした価値基準でものを考えてしまうことは少なくない。というか、いつの間にか入り込んでいる。「pixivランキングに一喜一憂するお絵かきさん」というのはおられるし、「ファボしてもらえる(=お気に入りをつけてもらえる)けれども、○○さんのほうが圧倒的に多いからやっぱり自分はダメだ」という発言は何も珍しくはない。Twitterのフォロワー数とか。フォロワー数を誇る人って、なんか、ドラゴンボールの戦闘力みたいに思ってはりますよね、あれ。

 

 えーっと、閑話休題

 

 数値に置きかわる世界も、「生きのびる」ためには大切だと思う。我々の多くは利潤を上げることを目的とした「会社」という組織体に属し、そこでは「利潤が上げられる方がえらい」となる。それも、一つの価値観です。

 しかし、それだけで私たちは「生きる」ことができない。「生きる」のは、そうした「生きのびる」世界をベースに、しかしまた質の違うことで成り立っている。そしてそれは、質的に測定される世界なので、その様態を指し示すのは困難だし、そしてあまりにも多様だ。

 

 この、質的世界の「語る難しさ」は、新自由主義的な考え方が席巻している現代において、殊更極まっていると思う。利潤が利潤を生むというか、数字になるものはよりどんどん数字として明確化されていくのです。ところが、質的世界、手触りの世界というのは、語るのが困難なので、明確化しにくい。「えーっと、うーんと」という言いよどみの中に見えてくる事柄もあるのだけれども、とても時間がかかる。

 と、「時間かかるの? じゃあ後回しね」となって、どんどん数字の世界が繰りひろげられ、それに圧倒されて自分自身もその価値が見えなくなっていく。

 

 谷川俊太郎に「みみをすます」という詩があるが、聞こえないもの、聞こえるはずのないものにとことんまで耳をすます。出来事を語り、あったことを説明しているのだけれども、でもその時に自分がどう感じたかはことばにできない人がいる。そのことばにできない事実に、かなしさに耳をすます。ことばにできないなら存在しないと見なすのではなく、ことばにすることを置き去りにされてきた感情があるのではないかと耳をすます。耳をすまされることがなければ、なきものとされてしまうのではないかとの不安におののきながら、でも、「あるんでしょう」とまなざしをそそぐ。

 ことばにならないけれども確かに存在し、ことばになる時を待っているあれこれに、耳を傾けつづけたいと思う。これは、私なりの新自由主義へのプロテストだ。

 

 

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