大学進学率をまとめてみた その2〜男女差編〜

はじめに

 この記事は、以下の続きです。ネタ元などの記載もそちらに。データの詳細は、このあとのおまけとして別枠で。

 

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 見やすさの関係上、グラフはここにも再掲します。

 

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大学進学率1954-2019

 

進学率の男女差

 先の記事では男女トータルで推移を見てたんですけど、男女差がだんだんなくなっていくというのも面白いなあ、と思ったので、男女差を見てみましょう。

 

 統計上最初のデータ、1954年では男性13.3%、女性が2.4%(!!)と、10ポイント以上ひらきがあったわけです。1950年代・60年代は、その差は縮小するどころかむしろ拡大傾向で、先ほど特異点としてあげた1964年は、男性25.6%、女性は5.1%と20ポイントも差がある。まあ、その後は10ポイント台に戻ります

 じゃあ1970年代になって縮まるか……というとそんなことはなくって、むしろその差は拡大傾向。1960年代は10ポイント台だった男女間の差は1970年に20ポイントを超えます。男女間の進学率差が最大になるのは、1975年と1978年の28.3%(1975年=41%:12.7%、1978年=40.8%:12.5%)。1970年代は、まだまだ男女間の大学進学率の差が大きい時代なのでした(「大学は男性が行くところ」という意識が強かった時代、といえるかもしれません。「女子は短大で充分」という頃だったのでしょう)。

 1980年代に入り、少しずつその差が縮まっていきます。1989年に、初めて男女間のポイント差が20%を割ります。あー、面白いことに、男女雇用機会均等法1985年制定、1986年施行ですね。この法律は、女性の進学率上昇に影響を与えた可能性があります(勿論それだけではない、社会的変化も大きいのでしょうが)。

 まあ、それでも男性の進学率の方が高いのは変わっておりませんが、2012年にようやく差が10ポイント未満となり、2019年度では5.9ポイントの差であるとのことです。あ、2019年度女子進学率が50%を超えています(いつからかは未調査 2018年からと判明)。女性も半数は大学に行くようになったのが令和と云う時代なのですね。

 

 ついでに。男子進学率ですが、1970年代は1975年の41%を最高に、男子は実はズルズルと下がり続けています。1990年には33.4%(ほぼ1/3!)までに落ち、そこからは上昇に転じたものの、1975年から1990年という15年にわたって、男子進学率が下落傾向にあったのですね。だから、男女トータルで見たときにも1975年をピークにそこからは少し下がり気味でしたが、1975年から1990年にかけては「男子進学率の低下を女子進学率の上昇で支えていた時代」と云えるのでしょうね。だから、トータルとして「ゆるやかな下落」で済んでいたのでしょう。

 

おわりに

 いままで、ちょこちょこ進学率上昇は見ていたんですが、正式な統計データが得られたので、これを機会にちゃんと見てみました。いやあ、オリンピックで進学率が上がっているというのは面白いですね。あと、男子進学率の下落を女子進学率の上昇がカバーしていたというのも発見でした。楽しかった。

 次は、入学者実数とも合わせて考えてみたいですね。暇なときに。

 

 

 

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大学進学率をまとめてみた その1〜総括編〜

はじめに

 大学進学率、いろんなところで調べてて、でも細かい数字出てこないし……と思ったら、e-statでダウンロードできた。2016 2019年までのだけど、今文科省で出してるのは古いの載ってないから、とりあえず記事にしておく。

【追記:読みやすさを考えて、「総括編」「男女差編」「データ編」に分けることにしました。】

【追記2:2019年までのデータを引っぱってこれたので、更新。】

 

 

 データそのものは、記事の最後に付録で載せておこう(リンクはこの記事最後にもアリ)。まあ、ネタ元も表記しておくか。奇特な人には役に立つかもしれない。

www.e-stat.go.jp

 

進学率グラフ化してみた

 とりあえず、データ編につけた数字をグラフ化するとこうなる。でっかいな。

 

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大学進学率1954-2019

 

特徴まとめ

 グラフの特徴をまとめるか。

 

・統計値がある1954年から約10年ほどは、大学進学率10%未満。10人に一人も大学に行かない。

 

1964年が15.5%と特異に上がっていますが、これは、戦後翌年の1946年生まれが少なかったからか?(国公式のデータがパッと見付からないけど、下記リンクで見ると確かに45年・46年は出生数が落ち込んでいるようです。いわゆる団塊の世代の直前だな) あ、1964年はオリンピックの年でもありますね。出生数が落ちたのと、オリンピックのイケイケムードで進学率が見かけだけ上昇したように思います(見かけだけなのかどうかは「進学者実数」を見ればいいだろうからまた今度)。

出生数|年次統計

 

・1964年の特異点をさっ引いても、10%をその後割ることはなく微妙に上昇を続ける大学進学率。

 

1972年に、初めて20%を超える。1972年は、札幌オリンピック沖縄返還浅間山荘事件……ひょっとして「オリンピックムードで大学進学率上昇」はあるのかもしれない。その後、1975年/76年に27%台を出すものの、その後少し落ち着く

 

1983年に、25%割り込む。この辺、何があったのかなあ。ファミコン発売、ディズニーランド開園とかはあったけど、あんまり関係なさそう。あ、1985年は、1966年生まれ、いわゆる丙午生まれが18歳になるタイミングなので、それでちょこっと特異点になってます。

 

1994年、前年比で2%強上がっての30.1%で初の30%越え。確かこの辺、第二次ベビーブームで大学のパイを増やしたんじゃなかったかな? おそらく定員増をしていたはず。確か、1992年が18歳人口のピークで、その2年あとに「率」が上昇してるんですね。マーケットの拡大は裾野をも増やすと云うことなんだろうなあ。

 ちなみにバブル崩壊が90年代初頭のことです。1994年に大学進学率が上昇したのは、「高卒で働けるところもないし、大学でも行っとくか」という要因もあると思います*1

 

・そして以降、どんどん上がって、2002年に初の40%越え。そして2009年には50%越え。以降、2013年に50%を少し割るものの、ほぼ50%はキープして2019年は53.7%だそうです。

 

 ・ちなみに、平成元年生まれが大学生になるのは、最短で2008年4月平成生まれ大学進学率を50%にした、と考えてもいい感じですな。

 

 

 ……というあたりで一区切りをつけて、男女差編へ。

 

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*1:ちなみに、大学入学後にバブルがはじけた私の世代は、「今就職厳しいみたいだし、大学院でも行っとくか」という理由での院進学もありました。

遠隔疲れには手を出すな!

 ……と、パクリタイトルを作ってみましたが。

 まあ、手を出すなと云われても「遠隔疲れ」を起こしがちなので、気をつけましょうね、というお話です。一応、大学生さんを対象に文章を作ってみたつもりです。

 

「遠隔学会」の面白さとしんどさ

  私が「ホーム」感を持っているある小さな学会があるのですが、その学会が今年はオンラインで開催されました。家にいながら学会に参加する、というあまりない体験だったのですが、期せずして「遠隔授業参加体験」になりました。

 

 それを受けての感想。

 

 「面白かった、けど、疲れた……」。

 

 その感想をもとに、遠隔疲れの理由について、そしてそれを防ぐ策を考えてみます。

 

面白かった理由

 まず、「時間の制限がない」。普通の学会だと、プレゼンがあってディスカッションして、という流れだけれども、時間の制限がないから、考えたことをじっくり文章にできる。そしてそこでやりとりできるから、議論としても深まりやすい。面白い

 もう一つ、「場所の制限がない」。学会発表だと、「これ面白そう……あ、でもこれとかぶってるわ……」と、「同じ時間に開催されている他の発表」は聴くことができないんですね。でも、遠隔学会では、「同じタイミングでの発表」がそもそも存在しないから、面白そうなものは聴き放題、ディスカッションも参加し放題。好きなようにできます。

 げにすばらしき遠隔学会。

 

疲れた理由

 これ、すべて、「面白かった理由」と同根です。つまり、時間と場所の制限がない

 ずーーーーっとやり続けてしまうんです。「あ、このテーマ、こうも考えられるんじゃ?」と思うと、そのことをコメントしてしまう。リコメントを受けて、更にコメントを考える。それを打ち込む。返事がある。またコメントを作る。ご飯を食べたあとでも、「あ!」と思いつくとコメントしてしまう。ネバーエンディングコメントーーー。

 時間と場所が制限されているのって、「気持ちを切り替える」上でとても大切になっているんだなあ、と痛感しました。要は「うまく休めない」んです、遠隔は。

 

「いることbeing」と「することdoing」

 いつもの学会なら、やはり行くのが目的みたいなところがあるんです。

 「おお、ここが○○大学か」とか大学の施設を見学したり、「○○さん久しぶり〜」とか旧交を深めたり、もちろん学会がないといかない土地の観光も少しはするわけです。まず「参加すること」があって、そこに「発表を聞くこと」が付随するわけです。なんなら、発表聴くのダルいな、すこし休憩しよっか、といって仲間と少しお茶したりすることもあります。いわゆる「情報交換」です(いや、こう云うとなんか議員さんの「視察」みたいなトーンがありますが、この時間、とっても大事なんですよ)。

 でも、オンラインなら。「その場にいるだけ」では「参加した気になれない」んですよ。なんてったって「家」にいるので。「家にいて書き込みをみて終わり」だったら、ネットサーフィン(死語?)となんら変わりがない。家でパソコンみてるだけだもん。

 

 となるとどうなるか。

 「なにかをすること」がないと、参加した気持ちになれないんですね*1

 ディスカッションへの書き込みを積極的にしたり、情報交換コーナーに書き込んでみたり、なにか「することdoing」がなければ、そこに「いることbeing」が可能にならないような気さえしてくる。そうすると、ひたすら「コメントを書いている」時間だらけになり、「ああ、この大学の雰囲気、いいなあ……」とか、「ここ、学会の機会でもないと足を運ばなかったなあ、いいとこだなあ……」みたいな時間が一切ない。「考える」ばっかりになって、「感じる」がおそろかになるんです。

 それは、たいそう、疲れる

 

「すること」の代表としての仕事、「いること」の代表としての居場所

 仕事とはまさに、「すること」です。何かをすることに対し、報酬なりなんなりが得られる。なにかの課題が設定されて、それを達成することが求められる。仕事というのはそういうもんです。

 一方「居場所づくりの必要性」ということも云われるように、「いること」もわれわれが生きていく上ではとても大切になります。何も特に求められることがなく、「ただいること」で充分な場所。それがなく、「すること」ばかりだと、人間はすり切れてきます。私たちが、ただいることを保障されている場所として、「居場所」というのはとても大切になってきます。

 これを「いることbeing」と「することdoing」と対比したのは、英国の精神分析家、Winnicott, D. W.と云う人です。Winnicottは、人間の基本は「いることbeing」なんだ、と主張しています。私たちは社会で生きる中で、どこか「することdoing」ばかりが求められているけれども、存在の基盤を支えるのは、ただ「いることbeing」なんだ、それがなくただ「すること」で埋めようとしても、底が開いたバケツにひたすらものを入れ続けるようなもので、いつまでたっても満たされない。だってほら、人間とはhuman beingというではないか、と。

 そうすると、遠隔は、「仕事」としては可能かもしれないけれども、「居場所」として使うのは簡単ではないだろうな、というふうにも思います。

 

(なお、関連記事として、以下を挙げておきます。多分こことつながると思う)

librairie.hatenablog.com

 

遠隔疲れには手を出すな!

 遠隔疲れは、「仕事」としてはある種起こりえることかと思います。仕事だもの、疲れる要素は必ずあるでしょう。しかし今、大学生の遠隔授業が必須となっています。そして、あちこちで、「遠隔疲れ」が云われるようになってきました。

 そりゃ疲れるよ。家でずーっと「仕事」が続くんだもん。

 でも、本来大学生が行うのは「学び」であって「仕事」ではないはずです。もちろんそこでは、何かをすることが求められはしますが、大学生が大学で得るものは、することdoingばかりではなく、そこにいることbeingを通して育っていくことでもあると思います。大学は知識の習得のみにある場所ではない、育ちを支援する場所でもあるのです。

 その意味で、学生さんには、「遠隔疲れには手を出すな*2」とお伝えしたいともいます。

 じゃあ、しかし、どうやって……となりますよね。

 

通常の授業なら?

 じゃあそもそも、普通の大学生活なら、そこがどうなっているか考えてみましょう。

 まず、大学には「時間割」があります。90分(最近は100分授業もあるそうですが)を一コマとし、コマのあいだに休みが挟まります。

 そして、「大学にいられる時間」も(大学によって違いますが)制限があります。遅くまでは残れなかったりしますし、交通機関の制限もあります。

 なにより、「大学では頑張っても、家ではだらだらする」ことができます。休息の場所と勉強の場所を分けることができるんですね。場所を変えるのは、気持ちをリセットする上で、とても大きな役割を果たしています。

 最後に、大学でもずーーーーっと頑張っているわけではありません。途中友だちと雑談したり、愚痴を言い合ったりぼんやりする時間もあります。講義の途中で寝ていることも可能です。

 つまりは、こうした中で「息抜きの時間」を適宜取っている、ということが考えられます。それらはすべて、私たちが支えられている「いること」に属する活動だと云えるでしょう。もちろんそれは、「時間の無駄だ」という人もいることでしょう。しかし、そうした「時間の無駄」によって、私たちが生きているbeing感覚を持てるのではないでしょうか。

 

意識して「時間を区切る」こと!

 ここから考えると、遠隔疲れにならないようにするためには、やはり「きちんと息抜きをする」ことがなによりも求められてくるでしょう。

 その対策の一つには、大学には時間割があるので、時間割のとおりに勉強して、時間割の外には(あまり)持ち出さないようにする、ということがあるでしょう。もちろん、通常でも、授業時間外にやることもあるから、すべてがすべて時間内にやれるわけではないでしょうが、それでもやはり「時間割を意識」するだけでもだいぶ変わってくると思います。強制的に、時間を区切るわけです。

 可能なら、「場所を区切る」ことをやってもいいのですが、これはしかし、とりわけ「外出自粛」が強いられるような状況では難しいですよねえ……*3。図書館も閉まっていたりするし、公共空間も同様です。家の中で「ここをキャンプ地とするぅ!」と云ってもいいでしょうが*4、豪邸ならともかく、普通の家ではちょっと、場所が区切りにくいところがあります。だからこそ、せめて「時間だけでも区切る」ことが大切です。

 もう一つは、「愚痴を言い合える仲間を見つける」ことかと思います。ただ、案外オンラインで難しいところがあります。自粛警察だのなんだのが云われる中、SNSで自由なやりとりをするのもシビアな雰囲気がありましたし、「知っている人とのやりとり」ならともかく、「ほぼ初対面でのやりとり」に文字のみを用いて、なおかつそこで「安心感を持てる」のは、相当厳しいのではないかと思います。対面だったら分かる、その人の持つ空気感、距離感、親しみやすさがすべて分からないですからね……。でも、なんとかしてこれを見つけてほしいなあ、と思います(この状況だから、古い友人と連絡を復活させやすくなっている、との話も聴きますので)。

 

「休むのも大切な仕事」です

 ということで、「遠隔疲れ」に対応するためには、「休むのも大切な仕事」です、という、うつ病の人へのアドバイスが当てはまるのではないかなあ、と思いました。

 うつ病の人は、執着性格と古くに云われるように、休むのがうまくないと云われています。まじめにコツコツ、云われたことをちゃんとやろうとする。課題が出ると、その課題にすべて対応しようとして、ヘルプを出せずに倒れてしまう。

 それはつまり、生き方のモードが「いること」にならず「すること」で覆われてしまっているからでしょう。この、遠隔が続く状況は、「すること」に覆われてしまいやすくなると云うことを意味しているのだと思います。つまり、通常取られている「強制的な休み」(休み時間)が取りにくいのです。いつまで経ってもズルズル続けてしまう。

 もちろん、やりたいこと、趣味ならばそれでもいいのでしょう。しかし、本来はそこまでエネルギーを注ぎたくないことにエネルギーを注ぎ続けるのは、「仕事」としては不健全です。そう陥らないようにするには、「休むのも仕事のうち」と考えて、しっかりと休息が取れる配慮を自分なりにやっていくことです。100%はできるわけがない。ある程度のクオリティになったら手放すことも大切。そう考えて、まあ、ぼちぼちやっていくのがいいのではないか、追い込まれそうになっていることに気づいたら「強制的にでも休みを取る」ことが必要なのではないか、そして自分自身の「いること」を支える時間を取り戻さなければいけないのではないか。そんなふうに思います。

 

 ……しかし、フリーランスの人ってすごいなあ、とこの数ヶ月、痛感しました。大変ですよ、時間の区切りがないって。まあでも、だから「オフィス(仕事場)を持つ」ことが必要になるのでしょうが。そうでもしないと、すぐ、「いること」が脅かされていくのでしょうね。私たちの「いること」は、それほどまでに脅かされやすい性質のものなのでしょう。

*1:いや、私の特性ゆえかもしれませんが。

*2:いや、よく考えたらこの日本語、おかしいんですけどね。いいじゃん使いたかったんだから。

*3:家庭でのDVが増えるのも、やはり家庭内で「逃げ場」がなくなるからでしょう。「場所の区切り」はやはり大切です。

*4:まあでも、「ここを〜!」という宣言って大事ですよね。あの一言のおかげで、何もない空間が一応は区切られますからね。あ。元ネタは「水曜どうでしょう」です。

コロナウィルス関連で思うこと〜基準の曖昧さと目的意識の欠如〜

 Twitterで書こうかと思ったけど、推敲した方がいいだろうから、こっちにしておく。まあ、本当に日本のダメなところが前面に出てるよね、としか思えないんだけども。とりあえず、参考文献として太平洋戦争での兵站の軽視がこれでもかと分析されている『失敗の本質』か、それがしんどいなら小説である『八甲田山死の彷徨』*1は挙げておきます。中井久夫の、『戦争と平和 ある観察』などのいくつかの論考も多分無意識的には参考にしていると思う。

 中井先生の「医学・精神医学・精神療法は科学か」(『徴候・記憶・外傷』所収)に、技術・戦術・戦略の違いの言及がある*2。個別の技術、それを生かす戦術があり、そもそもが大局観にたって何をどう攻めていくか、が戦略である。知らんけど。

https://twitter.com/afternoon_manga/status/1181494604329340929

 まあ、これで云うなら「戦略なき戦術」とよく云われるそれが、まさしく当てはまっている(現在形)事象だなあ……というのが結論です。「木を見て森を見ず」とかでもいい。

 

(1)初動の悪さ、を糊塗するための突然の自粛要請並びに休校宣言

 コロナウィルスに関しては、野党がいろいろ取り上げていたにも関わらず与党は向き合いもせず*3、時間稼ぎをしていた感が強いですね。

 転機となったのは、ダイヤモンドプリンセス号での岩田先生の告発でしょう。私は感染症については何もわからんので偉そうなことは云えないけど、市中病院に収容するとしてもそれだけのキャパを持つ病院もないだろうし、そのオペレーションを考えるよりは、船内を隔離環境として保つ、というのは一つの発想としてはありだと思う。

 

 ただ、問題は、「隔離環境として保った中でどうオペレーションするか」という発想が弱すぎたところにあるのだろう。

 最初、武漢からのチャーター便で帰国させて、そのあとホテル(旅館)に閉じ込めた、と云うプランをとったけれども、そこでも感染が疑われる人と見知らぬ人を相部屋にする、という、感染を増大しかねない策が取られていたらしい。

 船内もおそらくそうだろう。「清潔」と「不潔」が筒抜けになっている証拠画像を挙げた大臣がいたけども、感染者の分離をカタチ上はするけれども、カタチだけにしかなっておらず、なんのために分離が必要か、何を分離することが必要か、そのためにはどうすればいいか、が考えられていないところに問題がある、と云えるだろう。

 

 だから、船内で陰性だった人をそのまま解き放ち、「実は陽性だった」と判明したりとかが起きるのだろう。カタチだけ分離して、陰性というカタチが得られた人はそのまま下船させ*4、「やってる、けれども、失敗した」ということだ。これも要は、「目的」を見失い、「エビデンス」だけ求めるところから来ていると考えてもいい。

徳島県内で初の新型コロナ感染者 クルーズ船から下船:朝日新聞デジタル

 

 んで、この初動の悪さをどうごまかすか、考えたのだろう*5。「ここは派手に、バーンと行っちゃいましょう!」。そして急に「自粛の要請」をして、翌日に「学校休校の要請」を行ったわけだ。

 

 自粛自体は悪いことではないし、学校休校も必要な局面もあるだろう。

 しかし、その根拠が一切示されない。「○○では感染が広がっているから」という疫学的根拠が何もなく、全国一律。人数の多寡に関わらず、イベントは一切中止の要請。データに何も基づかず、ただただ「やってる感」を出したいが為に、急に宣言する。

 ここでも、大局観のなさが露呈する。

 

(2)NHKスペシャルについての疑問

www6.nhk.or.jp

 これも一応見た。

 

 情報を集めてちゃんとやっているんだなあ、ということは思ったんだけど、東北大の先生の話で一つ疑問だったのは、「多くの人に検査を、との声があるけれども、現在は封じ込めが成功しており、感染はトレースできている」という話。

 

 上記徳島の例を考えると、封じ込めが成功したとはとても思えない。私鉄乗ってるし、羽田から飛行機に乗ってるし。徳島の例以外にも複数あったはずだ。

 あと、最近では、このニュースもあった。

沖縄)検査結果待たず帰宅…陽性 厚労相「誠に遺憾」:朝日新聞デジタル

 このニュースに限らず、「水際対策」が機能していない例は、いろいろ噂レベルではあるけれども、聞く。

 

 そもそもの要請自体が意味不明。「二週間自宅またはホテルで待機。移動には公共交通機関を使うな」。

 

 歩いて帰れとでも? 空港からどうやって公共交通機関を使わずに帰れるというのだ? 自家用車を持つ家族または親族に、成田や関空まで来いと?

 

 お前は一休さん*6

 

 聞くところによると、空港での検疫はかなりザルのようだ。書類はいろいろ書かされて説明はされる。でも、逆に云うと書類を書かされるのみで、あとは何をされるわけでもない。制止されるわけでも対案を出してもらえるわけでもない。泊まるホテルを用意してもらえるわけでもない。

 

 じゃあどうするか。

 

 「まあ、じゃあ、いても仕方ないし、過ごす場所もないし、帰るか……」となっても、私は不思議ではない。 

 

 これも先に挙げた、カタチだけ重視、と云うのと同じことだと思う。要請はしたよ、でも私権の制限はできないから、あとはお任せしたよ、と。書類は書かせて、あとは知ーらね、だってオレ、自分の役割果たしたもん、ってことだろう。

 

 となると、封じ込めが成功しているかどうか、かなり疑問。

 

(3)3月三連休の観光客

 これは多くの人が感じているところだと思うけれども、三連休、観光客が久しぶりに戻ってきた。京都に。

 

 他府県ナンバーで右折レーンが埋まっていたり、あるいは細かい道に入り込んで迷っておられるらしき他府県ナンバーがいたり。観光地も賑わっていたらしく、銀閣寺近くにできたすみっコぐらしのお店は入場制限していたらしい。

sumikkogurashido.jp

 「外国人が減った中、観光収入増えてよかったね」……となるといいのだけど、ちょっとみなさん、ゆるみすぎじゃないですか??

 

 気持ちは分かる。2月末から急激に自粛が始まった。でも、人間、非日常を長く続けられるわけがない。人はパンのみにて生くるに非ず。楽しいこともしたくなる。

 

 「3月の連休、海外行くつもりだったのに、キャンセルになっちゃった……コロナも云われてたけど、そこまででもないかもね……ちょっとここらで、パーッと楽しいこともしたいよね、どうしよう」。

 

 「そうだ、京都、行こう」

 

 多分、こう考えた人が多かったんじゃないだろか。新幹線は恐い、でも車なら大丈夫だよね、屋外ならいいんでしょ、じゃあお花見とかも大丈夫じゃない?(実際、東京では花見に人があふれたらしい)

digital.asahi.com

 3月20日前後に大勢の人が集まる。ここでひそかにアウトブレイクが起こる。潜伏期間は2週間前後。

 

 となると、4月頭。ここがどうなるかが恐い。

 

(4)みんなビンボが悪いんや、からの目的意識の重要性

 これ、考えてみるに、「予算不足」以外の何ものでもないと思うんですよ。

 

 たとえば、国が早々に予算を付けて、「水際対策のため、空港周辺のホテルはすべて国が買い上げる。二週間そこに留め置く」とでもできたら、もう少し違うかもしれない。でも、現状は弱い「要請」だけ。

 そのために何ができるか。どういう情報提供をすればいいか。何があれば人は生きていけるのか。

 そこへの視点を全く持てず、なんかパーッとアドバルーンだけ上げるけどあとのことは放置して、時々急に無理難題を云って、終わり*7

 

  いろいろひどいなあ、と思うけど、嘆いてもいても仕方ない。

 学ぶべきことは何か。一連で、何が問題になっているのか。

 

 一つに、きちっと情報提供をして、基準を示す、と云うことだと思う。

 もう一つは、大局観を持ち、「なんのためにこれをやるのか」を示すことだろう。

 

 今回、いろんなところで目立つのが、基準の曖昧さ。ガイドラインが殆ど示されず、「各自で考えて」とか「自主的な判断で」とかで丸投げされる。やっていけないのは何か、許容範囲はどこまでか。なんでもそりゃあ「状況に応じて」であるのは当たり前で、でもその状況についての(ある程度の)線引きをするのが、責任者の仕事であろう。

 多種多様な意見を持つ人が集まっている。専門家だって意見が違うところはあるだろう。でも、その人たちの落としどころがどこにあるかを見極めて、「ここはこうしよう」と決断を下すのがトップの仕事であろう。具体的に動くのは下の人たちだ。その意見を吸い上げて、決断を下す。それこそが今、求められている。

 

 もう一つ、目的意識の欠如。なんのためにこれをやるのか、なんのためにこれが必要なのか。それが明確に示されないと、なにをやってもカタチだけになってしまう。

 クルーズ船にしても海外からの検疫にしても、「留め置く」のは手段であって、目的ではない。本来の目的は、「拡散を防ぐ」と云うことだ。そのために「留め置く」ことが有効で、「隔離する」という行動を取る。でも、そこが認識されていないから、ただ留め置くために留め置いたり、要請するために要請したり、等が起きる。つまり、「手段(留め置く)は理解しているけど、目的(拡散を防ぐ)が理解できていないため、“なんのために”にそれを行うかが分からず、結果として被害を広げてしまう」というのが今の現状なのだと思う。

 

 この、「目的意識の欠如」は、いろんなところで起きているのだと思う。なんのためにやるのか分からない会議、なんのために行うのか不明な研修会。ただなんだか目の前のことに精一杯やって、「精一杯やってるんです!」とは云えるけれども——そしてそれを賞賛する人もいるけれども——、でもそれは目的意識がないなら、あさっての方向に猛ダッシュしているだけになりかねない。

 

 ……こう書いていて、思い出した。最近書いた論文、「研究において大切なのは「目的」だ」、と云うものだったわ*8。それもからめて、またまとめます。とりあえず今回は、コロナ関連で終えておきます。

 

 

 

参考文献。

 

 

 

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

 

 

 

戦争と平和 ある観察

戦争と平和 ある観察

  • 作者:中井 久夫
  • 発売日: 2015/08/06
  • メディア: 単行本
 

 

 

徴候・記憶・外傷

徴候・記憶・外傷

  • 作者:中井 久夫
  • 発売日: 2004/04/02
  • メディア: 単行本
 

 

*1:あ、ずっと「行軍」と間違えてた……。

*2:もう少し詳しいのが別の本にあったと思うが、パッと思い出せずググって出てきたこれを挙げておく。

*3:しかしここ数年、「野党の云うことには耳も貸さない、なぜなら俺らは多数派だから」という姿勢が与党に強いですね。政権交代以前は、もう少し度量のある政党だったように思うのですが、自民党

*4:ただ、これ難しいのは、陰性だった人を留め置き続けられない、という問題もある。でもこれ、船内の隔離が成功していたら起きなかった例じゃないかなあ……。

*5:今のあの人たち、どうごまかすかしか考えてないと思う。森友からサクラまで。

*6:正確には、将軍さまから出てきた難題を一休さんが解決するのだが。

*7:NHKスペシャル、よかったのは、台湾での情報提供や対策を報じていたこと。台湾はきちっと責任者が毎日記者会見して、不安に駆られないための情報提供が行われている。マスクの配信システムもそうだし、「国民を助ける」姿勢がしっかりしていた。誰や、マスクを配るためにマイナンバーカードを普及させるという本末転倒なこと云ったのは。

*8:ただ、私、あまり「目的を持とう!」とも云いたくないのよね。それって容易にPDCAサイクル回したがる人になりかねないから。目的を明確にすることは大切なんだけど、目的を明確にしない場の重要性も同時に意識しておかないと、すぐにPDCAサイクルというマニ車を回したくなっちゃいそうなのよね……。